2015年に野党共闘の努力が開始されたが、そこで共産党が提起した「国民連合政府」は、それまでの理論的な枠組みで言うと、「暫定政権」としかいいようがなかった。安保廃棄の民主連合政府が基本的にめざしているものであって、その課題が入らないものはそう位置づけられてきた。「国民連合政府」は、当初、新安保法制の撤回だけが政策的な一致点だったので、暫定政権としか言いようがなかった。
しかし、すべてに目を通しているかと言われると自信はないが、「赤旗」や党幹部はそういう説明をしていないのではないか。現場では、「安保廃棄はどうなるのだ」と問われた地方幹部が、「いや、新安保法制を撤回させたら、解散・総選挙をして、安保廃棄の民主連合政府をめざすのだ。だからこれは暫定政権だ」と説明していた例を知っているが、党中央はそう説明していない。本音はそうだったかも知れないが。
ここに、実際に政権を取りに行ってみたら、各種の政権構想が理論的想定にとどまっていた過去の時代そのままでは通用しないという現実があったと思う。大きく言えば二つの違いがある。
一つは、さあ、これから政権を取りに行くぞと意気込んでいるのに、政権共闘の相手に対して、「いま我々がめざすのは暫定政権だ。当面の課題が達成されれば解散・総選挙をして安保廃棄の政権をめざすのだ」なんて失礼なことは、とうてい言えないことである。そんなことを言えば、ただちに相手からは共闘を拒否されたであろう。
そういう本音は隠すというやり方もあるだろう。実際、当初はそうだったのかもしれない。しかし、実際に政策協議を開始してみると、共産党の側だって「暫定」ではダメだと考えたのではないか。
だって、新安保法制の廃止一つとっても、そう簡単に実現できるものではない。衆参両院で多数派にならないとできないことなので、3年程度は最低でもかかるだろう。
しかも、政策協議のなかでは、核兵器禁止条約ではオブザーバーとして参加するとか、辺野古への基地移転はしないとかも合意になったし、経済社会問題でも合意もできあがった。とても暫定政権で済む合意ではない。要するに、共産党の側も、どう位置づけるかは別にして、暫定的な期間で終わらせるのではなく、本格的な政権にしようと考えたわけである。
100年の歴史のなかで、はじめて政権にかかわろうとしたら、政権とはそういうものだった。98年インタビューなどは、やはり理論的な想定に過ぎなかったというわけだ。
でも、そうなると、さらに大きな理論的な混迷が生み出されることになる。(続)