「政策共闘を通じて政権共闘へ」。これが98年インタビューの核心をなす提起であった。不破氏はインタビューで、政策共闘が「当面の国会活動のうえで、たいへん重要」というだけでなく、「政権連合への足ならしとしても、意義が大きい」と述べた。次の指摘は大事なもので、2015年以降の野党間の関係にも通じるものだったと思う。
「共闘とは、そもそも政策や理念のちがう政党が、国民の利益にかなう一致点で共同することなのですが、政策共闘を積み重ねることは、この共闘の論理を政党間で血肉にしてゆくことにも役立つでしょう。また、一致点での共同という問題に、たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじるでしょう。また、この党とのあいだではこういう種類の政策問題ではここまで共闘が可能だといった判断をおたがいにもって、いわば政策面での政治地図をたがいに見定めることにも役立つでしょう。
こういう経験をへてこそ、政権共闘が問題になる段階での議論の足場もしっかり定まってくると思います。」
ドライな国会共闘と異なり、政策共闘とは、どこまで政策が一致するかが分かる。どこまで共闘できるかが分かる。「政策面での政治地図をたがいに見定める」ことになるのである。
しかも、「たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじる」。こういう信頼関係というのは、政権共闘をめざすなら不可欠である。政策で折り合えないことがあっても、それでも政権をともにしようとかいうものがないと、政権共闘はできないからである。
そうは言っても、70年代までに想定していた民主連合政府とは異なり、野党間の政策の違いはあまりに大きい。当時、党本部で行われた学習会があって、不破氏が当時の野党共闘の様子にふれて、「自民党を東と西から攻めているようなもの」と述べていたが、上手な表現だと感じた。政策は180度異なるが、何らかの共闘はできるということだ。
それにしても、それだけの違いがあるのだから、政策共闘が政権共闘にまで発展するのは、容易なことではないと感じた。98年インタビューも、その見通しにはふれていない。実践を通じてしか見えてこないというのが、不破氏の判断だったのかもしれない。
2015年に志位氏が野党の国民連合政府構想を打ち出し、共産党界隈では、いまにも政権共闘が可能になるような雰囲気が生まれ、だから逆になかなかそれに応じない立憲民主党を批判する声も強まったが、そんな簡単なことではないことは明確だった。
ということで、最近の話に続いていく。2015年以降の実践を通じて、98年インタビューの時代的制約も明らかになったし、克服するための展望も示されたと思うので、その問題である。(続)