昨日の「かんさい情報ネットten」の「101年目の共産党〝牙城〟京都で異変が」がYouTubeにアップされています。関心のある方はどうぞ。
さて、安保条約を廃棄する民主連合政府の先に、さらに民族民主統一戦線政府が必要だというのが、旧綱領の立場であった。民族民主統一戦線政府では、新たな政策課題が浮上するというのではない。2つの理由があったと思う。
1つは、安保条約の廃棄という課題で、民主連合政府で政権を組む対象と考えていた社会党と認識が異なっていたことである。社会党は、すでに日本は独立しているという認識だったので、安保条約の廃棄の位置づけはあくまで「平和」である。安保を廃棄して中立の日本になることで、アメリカの戦争に巻き込まれないようにするのが目的だった。一方の共産党は、平和はもちろんのこと、「独立」を重視していた。安保条約廃棄は独立のための重要なステップなのだが、社会党との関係でそれを独立のための措置と言えなかった。さらに、独立のためには安保を廃棄しただけでは足りないとも考えていた。だから、独立の課題を達成するため、さらに先の政府を構想していたわけである。
2つは、安保廃棄しただけで日本は独立したことにならないと、そう共産党が考えたのは、アメリカが簡単に日本を手放すことはないからだった。そのアメリカとの闘争が必要になるとみなしていたからである。
そもそも、共産党がそれまで「中立自衛」政策をとり、将来的には憲法九条を変えてでも防衛力を保持しなければならないと考えていたのも、一般的に周辺国が日本を侵略する危険があるという認識からではなかった。日本が日米安保条約を廃棄し、真の独立をめざすような事態になれば、アメリカが日本を従属させておくことにしがみつき、軍事力を使ってでも阻止しようとするかもしれないという認識があったからなのである。
共産党は1968年、「日本共産党の安全保障政策」を公表し、「中立自衛」政策を確立するのだが、そこには次のような記述がある。
「帝国主義がなお存続する以上、独立して、平和、中立化の政策をとる日本が、アメリカを先頭とする帝国主義陣営から侵略をうける危険は、依然としてのこっている。この点からいっても、独立した日本が、自衛の問題を無視するわけにはいかないことは明白である。……
将来、日本が、独立、民主、平和、中立の道をすすみ、さらに社会主義日本に前進する過程で、……必要な自衛措置をとる問題についても、国民の総意にもとづいて、新しい内外情勢に即した憲法上のあつかいをきめることになるであろう。」
憲法を改正するというのだから、護憲を旗印にする社会党と組んだ「民主連合政府」ではできない。だからそれに取り組むには「民族民主統一戦線政府」が必要だ。簡単に言えば、そう考えていたわけである。
しかし、共産党も1994年、九条護憲の立場に変わった。もはや独立と改憲を掲げる政府は不要となったのだ。新綱領がすっきりしたのは、そういう変化が反映している。
けれども、この変化は、アメリカ帝国主義論との関係では、非常にぎくしゃくしたものを生み出す。政権共闘論とは関係ないのだが、それについて次回で書いておきたい。(続)