明日が知事選挙の告示日である。昨日紹介した党中央への手紙の最後にあったように、私としては「赤旗」で名指しの批判などがないかぎり、統一地方選挙が終わる4月後半まで、除名問題をめぐって党のことを批判的に取り上げることはしないでおこうと思っている。

 

 本日は、その前日となる。だから、最後にちょっと批判をしておきたい。

 

 「反共は戦争前夜の声」――これが統一地方委選挙に向かう共産党のスローガンになっているようだ。あまりに現実とズレていて、これでは勝利を望めないと感じる。

 

 何よりも、現在の世論状況を「反共」と捉える見地が歪んでいる。確かに、除名問題をめぐる共産党への批判は大きい。しかし、それは共産党のこの問題への対応のマズさがつくりだしたものであって、反共勢力が意図的に仕掛けてきたものではない。

 

 それどころか、こうなる以前、共産党に対するメディアへの期待は大きいものであった。私は『シン・日本共産党宣言』の出版が決まったので、刊行日の一か月ほど前から、メディアに私の真意を伝えるようにしてきた。その際、どのメディアも一様に強調していたのは、自民党政治に対する野党の存在を確固としたものにする上で、もはや立憲に期待できるようなこともなく、あとは共産党が変わるという選択肢しかないねということだった。そういう問題意識をみんな持っていたから、私の記者会見にも多くが参加してくれたのだ。

 

 ところが、共産党の対応は、そういう期待を裏切るものだった。その後も、ずっと同じ過ちが続いている。このままでは、「容共」だったメディアが、「反共」に変わってしまいそうで怖い。

 

 もう1つは、「反共は戦争前夜の声」という蜷川さんの言葉(1950.4.3)を、過去の回想にとどめていない点のズレである。いまの現実の政治状況に重ねることによって、過去の大失敗をくり返しかねないと感じる。

 

 「反共は戦争前夜の声」があらわしていた「戦争」とは、いうまでもなく朝鮮戦争(1950.6.25開始)のことである。その頃、確かに日本の共産党は占領軍から敵視され、反戦を掲げた共産党への弾圧は激しいものがあった。政治全般が「逆コース」と呼ばれる道を進んでいく。

 

 しかし、当時の共産党の反戦とは、アメリカが北朝鮮に対して戦争を仕掛けたという認識にもとづく「反戦」であった。だが現実には、侵略して戦争を起こしたのは、共産主義国である北朝鮮だった。「反共は戦争前夜の声」どころか、「容共は戦争当夜の声」が、目の前で進んでいる現実だったのだ。それなのに、共産党が北朝鮮を支持して国民世論から乖離したことが、50年問題による党の分裂をより深刻なものとした。

 

 いま共産党が「反共は戦争前夜の声」を強調するのは、目の前で岸田政権の大軍拡が進んでいることと、共産党への批判が高まっていることを結びつけたいからである。そのことによって、共産党への批判が強いのは、反動勢力が軍拡反対勢力の共産党への批判を強めているからだという構図を描きたいわけだ。

 

 けれども、岸田政権の大軍拡も、中国が台湾の武力解放を公言し、尖閣への侵入をくり返しているもとで、それへの対抗策として打ち出されているものだ。1950年に戦争を起こしたのが共産主義国である北朝鮮であったのと同様、現在も戦争を起こす可能性を明言しているのは、共産中国なのである。

 

 それなのに「反共は戦争」というのでは、あまりにズレまくっていないか。朝鮮戦争当時、共産党が北朝鮮を支持し、戦争をしたのはアメリカだと描いたように、現在は岸田政権とアメリカを批判するあまり中国を支持するのか。このスローガンを聞いた国民が感じるのは、そういうことであろう。残念ながら、これでは選挙には勝てない。