昨日の記事で指摘したこと、共産党の規約の原則(建前)を変えるもので、だから重大だと思ったので書いた。同時に、その後いろいろ考えてみて、原則問題という以外にも、かなり深刻な問題をはらんでいるのではと考えるに至った。

 

 なぜ常任幹部会レベルで処分ができるようにするのか。関連してすぐに思い浮かぶのは、このブログで書いたこともある筆坂氏の2003年の処分のことである。

 

 くり返しになるが、筆坂氏の事件の際、当初、常任幹部会は警告処分を行ったが(6月9日)、そういう処分をしたことは、外には公表しなかった。しかし、公表しないことを問題にする党内の動きなどもあって、その1週間後、中央委員を罷免する処分に変更された。中央委員会総会の決定である。なぜそんな変更をしたのかについて、2005年の「赤旗」の記事で次のように説明されている。

 

「筆坂氏の処分の事実経過は、回答文で述べているとおり、(1)常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分(具体的には警告処分)とすることを確認した、(2)しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、次の常任幹部会で中央委員罷免という処分をあらためて確認した――というものです。」

 

 「思い違い」で処分の内容が変わるというのも説得力に欠けるが、問題は、なぜ常任幹部会の決定では「警告」だったのに、中央委員会の決定では「罷免」ということになるのか、その理由である。この「赤旗」記事では、さらに次のような説明がされている。

 

「先の常任幹部会で警告処分を確認したが、党規約の運用について思い違いがあった。中央委員の処分は、中央委員会総会で決定しなければならず、その処分内容は内部にとどめることはできず、公表しなければならない。公表する以上は、筆坂氏の社会的責任の重さからみて、中央委員罷免とせざるをえない」

 

 要するに、常任幹部会が行う処分なら(みんな口が硬いから?)、外に公表しないで済むが、中央委員会が行うなら(口の軽い人もいるから?)、公表しないで済ませるわけにはいかない。そして、公表する場合は、「警告」というのでは世論が許さないだろうから、「罷免」にするという理屈である。

 

 結局のところ、中央委員会の承認を経ずに(常任幹部会だけの権限で)処分できることの意味は、公表しないで済むということに尽きるわけである。ということは、公表しない処分を行う必要性が生まれている、そんな意味合いをもつなのだろうか。よく分からないけれど。