この問題を論じはじめたのに、アマゾンのことがあったり、コロナに感染したりして、放置してしまった。再開するけれど、年末年始が挟まるので、どれだけ連続的に書けるかは未知数であることを、あらかじめお断りしておく。

 

 なお、そのコロナのことだが、高熱は治まったものの、咳は止まない。まあ、仕事に大きな影響を与えるほどではないが、気持のいいものではないよね。大勝負の年である来年にかからなかったことだけは、よしとしなければならないけれど。

 

 さて、岸田さんが解散総選挙の決意を固めたという見方が報じられている。敵基地攻撃をめぐる論議を見ていると、岸田さんが「これなら勝てる」と思った気持ちが理解できるような気がする。

 

 増税のことは別にして、世論の大勢は防衛費の増額も敵基地攻撃も賛成している。一方、反対勢力の論の立て方は、これに賛成している世論の残りの部分というか、世論の少数を代表するようなものにしかなっていないからだ。

 

 敵基地攻撃反対勢力に決定的に欠けているのは、「敵」の攻撃から日本国民を守る防衛体制の必要性の提示である。敵基地攻撃に反対するというけれど、では、敵が日本の領土、領海、領空に侵入してきたとき、その敵を排撃することには賛成なのかどうか、そのための装備を備え、そのための防衛予算を組むことには賛成なのかどうか、そこが見えてこない。

 

 まず、相手の攻撃がミサイルでない場合を想定してみよう。尖閣をめぐる争いは実際にはもっとグレーゾーンで始めるのだとは思うが、分かりやすく、中国が「尖閣を奪うぞ」と宣言し、実際に軍用機が航空優位を確保するために飛び交い、その下を上陸部隊を載せた艦隊が領海に侵入してきたとしよう。

 

 敵基地攻撃に反対している人は、敵の基地を叩くことには反対しているが、日本の領域に入ってきた敵の軍隊を叩くことには賛成と言えるのか。そのための防衛装備とか防衛予算ならもちろん賛成だと胸を張って言えるのだろうか。

 

 そこが見えない。日頃、そんなことを口にしない人が、敵基地攻撃には反対だと叫んでも、「だって、あなたは敵基地攻撃だけでなく、日本の防衛にも前向きではないよね。防衛そのものに反対なんでしょ」と言われてしまうだろう。

 

 だから、敵基地攻撃に反対する際(私も反対するのだけれど)、「私は日本の領域が侵されることには絶対反対で、そのための装備も予算も当然必要だ」ということを言わないといけない。いつも言っていない分、より大きな声で繰り返し言わないといけない。それ抜きで反対論を構築していては、説得力がないのである。(続)