文春新書から刊行する『シン・日本共産党宣言』は明日が校了なので、予定通り1月19日発売となる。校了を前に、これだけ「敵基地攻撃」が論じられているのだから、ギリギリにはなるけれども、まとまって論じてもいいという編集部からの申し出があったので、それに甘えてかなり追加修正をすることになった。もっとも、ページ数が増えると定価が1000円を超えてしまって、購読を呼びかける対象の一つである共産党員の手が出なくなっては困るので、その分、どこかは削除する。

 

 もちろん、これまでの原稿にも敵基地攻撃に関する論述は存在していた。だって、ウクライナは基本的に専守防衛に徹して戦っているが、黒海に遊弋していたロシア艦隊の旗艦であるモスクワを攻撃したことがあり、これは日本の敵基地攻撃論でも出ている敵の「指揮統制機能」の破壊でもあるからだ。その種の問題はすでに論じていたのだ。しかし、それだけでは不足すると感じた。 

 

 日本での左翼、護憲派の議論を見ていると、敵基地攻撃がそのまま「先制攻撃」と結びつくみたいな感じがある。しかし、ウクライナがロシアの指揮統制機能を攻撃したからといって、そういう攻撃をしたところで、それをロシアに対する侵略だとするような批判は微塵も生まれなかった。ましてやこの間、ロシアのミサイル攻撃が激しさを増し、ウクライナ国民が越冬できるのかという状況が生まれている。この局面で、敵のミサイル基地を攻撃するのは本当にダメなのか、その疑問に答えられるような議論ができないと、統一地方選挙は惨敗する可能性さえあると思う。

 

 おそらく現在、敵のミサイル攻撃があっても、それを黙って受け入れるのが憲法九条の立場だという古典的な護憲論を除けば、「専守防衛」は大方の人が受け入れていると思う。その専守防衛の立場にとって、最大の難関が敵基地攻撃をめぐる問題だと思う。そこに納得のいく回答がないかぎり、敵基地攻撃論は勢いを増し、護憲派は守勢に回ることになる。

 

 理由はいま述べたウクライナの事例そのものからでてくる。実際に毎日毎日、ロシアのミサイルがエネルギー施設や病院などを破壊している。ミサイル防空網では追いつかない。冬が越せないかもしれない。ウクライナが生き延びようとしたら、ロシアのミサイル基地を叩くしかない。それがダメなら降伏するしかない。

 

 そんな局面で、どういう理屈で敵の基地を攻撃する能力を持ってはいけないと説明できるのか。それに尽きている。(続)