私が共産党を退職しようと思った時、再就職のための活動をする自由、権利はある(だからこそ臨時の常任幹部会で承認された)。一方、そのことを察知した現場の党員が、それを誰にであれ伝える自由、権利もある。

 

 これを「監視体制」と呼んだり、いわんや第二事務の指令が行きとどいているなどと関連づけるのは、大きな間違いである。党員同士、党員と機関の間の権利、自由のぶつかり合いみたいなものがあっていいし、それが共産党を国民の常識に近づける道だと思う。

 

 2年ほど前だったか、大阪府堺市の市民連合が、私を呼んで野党共闘の勉強会をすることを計画した。しかし、大阪府党の中村正男副委員長が、「松竹は党の内部問題を外に出すようなヤツだからダメだ」と猛反対し、実現しなかった。これも、第二事務=スパイ機関説に依拠すると、第二事務の全党的監視体制のなせる業ということになるのかもしれない。

 

 ところで、この中村氏の言説だが、共産党の規約は、確かに「党の内部問題は、党内で解決する」(第5条8)としている。しかし、もし私が自分の本やこのブログで書いていることがその規定に反していて党の規約違反ということになるなら、私はこの十数年ですでに何十回も処分を受けていておかしくないが、中央委員会から支部委員会にいたるあらゆる機関から処分どころか注意さえ受けていない。

 

 これは中村氏の指摘が当たっていないことを示している。もし、中村氏のような規約解釈が通用するなら、中村氏こそ、党の内部問題(志位氏と私が意見が異なっていること)を、党の外部(市民連合)に漏らしたことになり、処分を免れないだろう。

 

 党員も機関も、規約を自由に解釈し、権利を行使する。それがぶつかり合うこともあるが、それこそが第22回大会で決めた「循環型」規約の精神であって、共産党はそれを豊かに具体化し、実践することに慣れていかなければならない。

 

 第二事務のことから離れてしまったが、第二事務=スパイ機関説というのは、意見を異にする党員を対象にして党が仕事として組織的日常的に尾行監視しているという、事実とすれば許されないことである。前回と今回で紹介したような事例は、党員や機関がその権利を行使してやることとは全く異なる。

 

 それにしても、なぜ第二事務=スパイ説のような言説が生まれたのだろうか。それは、一つには、第二事務のことを抽象的にしか捉えていないことが、根本の背景にあると思う。

 

 第二事務の幹部防衛の仕事はたいへんな仕事だ。幹部を深夜に自宅に送り届け、朝は出勤にあわせて自宅に迎えに行く(早朝に散歩する日課がある幹部なら、それにも合わせなければならない)。そういう事情があって、例えば自分の好きな田園地帯に自由に住むことなどは事実上許されず、幹部の近くに住まいを構える必要もあったりするけれども、だからといって住宅手当が出るわけでもない。妻はたいていが党員で、夫の理解者であろうとするだろうけれど、子どもにとっては「父の仕事は共産党幹部の警護」ということは、なかなか誇りにしにくいだろう。

 

 そういうなかで献身的に働いていることを知っているので、私は第二事務批判には過敏になってしまう。これって、一部の原理主義的な左翼が、自衛隊を人殺しだと批判するのと同じようなもので、批判の対象を抽象的にしか見ていないと、ときとして起こる現象である。その対象には妻も子どももいて、その子どもが自分の子どもと学校では同じクラスで机を並べて勉強していることなどを少しでも想像できれば、批判するにしてももっとマシな批判ができると思うのだ。

 

 明日が最後。意見の違いを理由に第二事務が党員を尾行監視することはないと証明したつもりだが、では、第二事務が尾行監視することがあるとしたら、どんな場合かである。(続)