「小池晃氏パワハラ問題の教訓」の続き。さすがに「続々々」とは付けられないし、尊敬する小池氏の名前をいつまでもタイトルに付けているのも気が引ける。それにくわえ、小池氏は「自分個人の問題」と言っていたけれど、組織そのものに原因のあるもっと深刻な問題なので(規約の明文からは削除されたが「下級は上級に従う」というのはパワハラそのものである)、別のタイトルを付けてみた。

 

 まず結論から書いてみる。上からのパワハラをなくすには、二つの道があると思う。その二つは対照的なものであるけれど。

 

 一つは、全党員が宮本顕治のような人物になるという道である。50年問題のときの宮本と言ってもいい。

 

 コミンテルンの干渉があって、宮本は徳田球一などの主流派から排除される。過去の文書を見るだけでも、その排除はすさまじいものだった。「分派」と言われ、地方の党組織においても、宮本を分派として排除せよ、除名せよという決議が次々とあげられていく。そして、九州地方委員会に左遷される。

 

 宮本には楽な道もあったと思う。何と言っても文芸評論家として知られていたわけだから、その道で食っていくことも可能だったはずだ。しかし宮本は、党中央の誤りを正す道を選択した。

 

 しかも、その方法として、誤りを党内で正すという道を選んだ。何十年も前のインタビューで宮本が答えていたが、有名な雑誌から党中央の誤りを告発する記事を書かないかという誘いがあったそうだが、宮本はそれを断り、あくまで党の内部問題として対応したと述べていた。まあ、さすがだよね。

 

 民主集中制って、とても評判が良くないけれど、宮本はその原則を守りつつ、党中央の誤りを正したわけだ。この原則は、出自はコミンテルンにあると言われていて、それはその通りであるし、だからヒラ党員は上に意見を述べにくいわけだけれど、宮本は意見を述べただけではなく、誤りを正すまで頑張り抜いたわけだ。

 

 日本共産党の民主集中制は、だからコミンテルン由来というだけでなく、その宮本の実践も反映していると思う。宮本は、ヒラ党員に対して、自分のように頑張り抜けば同じことができるのだという思いをこめて、61年規約をつくったと考えることもできる。

 

 だから現在も、党中央が誤りを犯すようなことがたとえあったとしても、多くの党員が宮本の実践に学んで頑張れば、50年問題の誤りが正されたのと同じ経過を辿ることが可能だということである。それができればだけれども。

 

 しかし、宮本のような人間を想定していては、現在の党にはそぐわないだろう。この60年、いまはその言葉は使わないが、「大衆的前衛党」をめざして党員を増やしてきたわけだから。それに、2000年規約は61年規約とはかなり変わっているという事情もある。(続)