パワハラ問題はあと2回続くので、ここでいったん小休止。共産党をどう改革すべきかという、なかなか難しいテーマにもなるので。本日は本業のため久しぶりに出社しなければならないし。

 

 ポーランドに落ちたミサイルの出所をめぐる議論は、ほぼ決着がついているのだろう。ミサイルがどこをどう飛んでいるかなんて、日本の平和運動だってスキルがあれば分かることで、ましてやアメリカが正確につかめないなんてことはあり得ない。アメリカがロシアから飛来したものではなさそうだと言っていた当初の時点で、いまのような結末は予想されていた。 

 

 それに対して、ゼレンスキーがロシア説に固執している問題。そう言いたいことは分かる。9か月の間必死で戦ってきて、兵士をも国民をも鼓舞してきた。ところが、ウクライナのミサイルが隣国ポーランドの人命を奪ったと認めることになれば、戦争の大義が傷つきかねないと心配しているのだろう。

 

 しかし、ここは率直に事実を認めないと、その戦争の大義がかえって傷つくことになる。だって、ゼレンスキーが自国の大義のために事実を歪める人間だということになってしまえば、これまで旺盛に宣伝してきたブチャなどをはじめとするロシアの蛮行だって、ウクライナの主張に疑問符が付いてしまうことになる。すでにプーチンがそういう主張をはじめているみたいに。

 

 ゼレンスキーは「英雄」みたいになってしまって、冷静な判断ができなくなっているのではないか。もともと未熟なところから出発しているのだし。ここはまわりの人間がゼレンスキーに直言しないとダメである。

 

 それにしても、アメリカやNATOの対応には、さすがだと思わせるところがある。ウクライナのミサイルだと指摘しつつ、それもロシアがミサイルを撃ち込んでいるから起きる事態であって、根本的な責任はロシアにあると主張していることである。まったくその通りで、ゼレンスキーはポーランドの二人の生命を奪ったことを認め、謝罪もすることで、ようやくロシアの責任をきびしく追及する立場に立てるのだと感じる。

 

 日本のことを考えても、ミサイルで攻撃されるような事態は想定され、その場合、PAC3などで反撃するのだが、撃ち落としても失敗しても、日本国民に被害が出ることが想定される。地上イージスが秋田に持って行けなかったのも、そこへの危惧を払拭できないからだった。

 

 根本的な責任が相手国にあることと、しかし自国のミサイルが仲間を傷つけることがあることと、それはウクライナの問題というだけではない。日本国民の問題としてどう捉えるのか、ウクライナ戦争はいろいろなことを考えさせてくれる。