イーロン・マスクがツイッターの支配者になって、いろいろ変わっていきそうだ。現地時間の2022年11月4日、こんな投稿をしたとされる。

 

「Twitterの売上高が急落したのは、活動家グループが広告主に圧力をかけたからだ。コンテンツモデレーションは一切変わっていないし、活動家に対しできる限り譲歩したにも関わらずだ。まったくもってひどい話だ。彼らはアメリカの表現の自由を奪おうとしている」

 

 要するに、マスクは「言論の自由」を標榜し、人種差別的な投稿などを規制する現在のやり方をなくそうとしている。そのためにその仕事をしている従業員を解雇した。それに対して、活動家らが広告主に対して、そんなツイッターに広告を出すなと圧力をかけているという構造だ。きっとトランプがツイッターにもどってくるんだろうな。そして、誰が何を投稿しても、「すべてを自由に」がスローガンになっていく。

 

 この問題はそう簡単ではない。人種差別や人権侵害は許されないことで、実際にそういう行為に及べば各種の法律で規制の対象になるが、「言論だけ」ならどうするかという難しい問題だからだ。

 

 とりわけ問題なのは匿名の投稿である。実名で差別的投稿を行い、まっとうな批判にさらされれば、その人の信用問題になるが、匿名の言論者には批判が通用しないからだ。マスクが8ドルを払えば認証するシステムを導入しようとしているのも、その是非は別にして、ただ「自由に」というだけで解決する問題でないことを自覚しているからだ。

 

 私は十数年前からブログをやってきたが、すべて実名で書いてきた。その私のコメント欄には、誰でも匿名で「自由」に投稿できた(管理者がコメント欄を管理する現在のアメーバブログだけは別だが)。正直にいって、「こんな低劣な批判コメントを自分で許可するのか」と思うことは多かったが、いちいちそれを見て判断する時間が惜しかったというのが、基本的な理由だけれど。それにしても、そうやってコメントをフリーにしていると、劣悪なコメントに対しては別の人が批判してくれるようなことも出てくる。

 

 本来ならば、そのように差別的言論に対してそれを批判する言論が巻き起こり、差別的言論が横行する世界を狭めていくことが望ましい。しかし、ツイッターのように大規模になっていくと、あまりの影響力の大きさからそうも言っていられないような問題が起きる。

 

 だから、ツイッターは投稿内容の点検に踏み切ったのだろう。ヤフーニュースがコメントの投稿者に携帯電話番号の登録を求めるようになったのも、実際に誰が投稿したかが分かることが責任ある投稿につながるからだと思う。アメーバブログのコメント欄管理もその流れなのかな。

 

 私が思うのは、ツイッターは、実名の人だけが参加できるものと、実名・匿名ともにOKというものと、2つに分けるやり方もあるのではということだ。実名のほうは、投稿内容を規制しなくても、まさに「言論の自由」を標榜できる空間になるように思う。実名・匿名ともにOKのほうは、現在と基本的に同じものとなるが、内容を規制するというこれまでのやり方で行くのか、規制しないで「ここは差別的投稿もあり、だけど信用性には疑問符が付く部分もある」と社会がみなすものとして残していくのか、時間をかけて検討すれば良いのではないか。

 

 影響力の大きいSNSだけに、利用者が声を挙げることが求められると思う。