大河が面白いから、いろんな人がいろんな論評をしている。私まで書いたくらいだからね。

 

 先日(21日)、愛読している「産経新聞」にも長大な論評が載っていて、小見出しに「マルクス主義の呪縛」とあるから、何だろうと思って読んでみた。青山学院大学准教授の谷口雄太さんのものだが、いまどきマルクス主義についてこの程度の理解なのか、とがっかりした。

 

 谷口さんの理解によると、マルクス主義というのは、「独裁体制の崩壊」は「歴史の必然であり、放っておいてもいつかは達成される、といったいささか楽観的な見方」なのだそうだ。そういうマルクス主義が戦後歴史学を席巻したため、鎌倉時代の後半の見方についても、「学校の授業や一般書」では「(専制体制が)様々な内部矛盾や問題を生み出し、それに対して武士や庶民の不満が高まっていって、反乱が続発した結果、幕府は倒れていったかのように教えられる」そうなのである。しかし、近年の研究によって、そのようなマルクス主義の「単純なストーリーは誤りなのではないかとの見方が強くなっている」とのことだ。

 

 谷口さんは、鎌倉幕府の崩壊は、そういうマルクス主義が描くような単純なものではなく、後醍醐天皇や後継ぎ、楠木正成などの戦い、幕府側の大将の討ち死にのアクシデント、足利尊氏の裏切り、新田義貞の軍の奇跡的な勝利など「様々な予想外の出来事が積み重なった結果」だとする。「ある意味で、『歴史の偶然』の産物である」というのだ。

 

 私は勉強しているわけではないから、近年の研究などは知らない。しかし、矛盾があったら不満が高まって政権が倒れるって、いまどきそんな単純なことを言うマルクス主義者なんか見たこともない。それが正しかったら、安倍政権なんか、10回くらい倒れていただろう。どんなに矛盾があっても、それを倒そうとする勢力が、その矛盾を正確に捉え、ちゃんとした解決策を提示できないと、歴史は一ミリも動かないのである。

 

 いまどき、どころではない。そもそもマルクスがそんな単純な歴史を書いていない。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』一冊だけでも読んでみたらどうだろうか。谷口さんが描く鎌倉幕府崩壊のストーリーより、100倍ほどは複雑な歴史観で描かれている。

 

 ただ、谷口さんが書いているように、そしてマルクスが100年以上も前に実際に書いているように、いろいろな歴史の要素を、いろいろな角度で捉え、描いていくことは大事なのである。歴史観に整合しないからといって、都合の悪い事実を切り捨てるようなことがあってはならない。それこそがマルクス主義である。そういう意味では、谷口さんの努力も史的唯物論の発展につながるものだと思う。

 

 ただし、谷口さんの場合、歴史学を事実にもとづいて深めるというだけでなく、それを無理矢理、政治に結びつけようとしているところがある。この論評だって、見出しに「プーチン体制の崩壊に期待」「『歴史の必然』という甘え」とある。これは何かというと、マルクス主義に囚われていると、プーチンのような独裁体制は歴史の必然として滅びるという見方になってしまうが、事実はそう簡単ではないだろうというものだ。中国その他、独裁国家はなかなか滅びないというものだ。

 

 それ自体は事実である。しかし、これでは鎌倉幕府の崩壊という歴史学の対象を、そのまま目の前の政治の話と結びつけてしまっている。これでは、専制は必然的に崩壊するのか、そんな単純ではないとするのか、結論が違うだけで、アプローチとしては谷口さんが批判している、あるいは谷口さんが理解しているマルクス主義と同じやり方である。

 

 「マルクス主義の呪縛」を受けているのはあなただろう。それが私の感想である。