「鎌倉殿の13人」は面白いですね。さすが三谷幸喜です。

 

 面白さはいくつもありますが、私としては、「こうやって憲法ができていくんだ」というとことも焦点の一つです。これから承久の乱が起こり、幕府の権力が西国にも及んでいって、「御成敗式目」が策定されるわけですが、これを「日本における憲法の始まり」とする歴史学者もいますから。

 

 「御成敗式目」は全51条あるのですが、それはいわゆる聖徳太子の「17条憲法」の3倍になるからです。最初から憲法たらんことを意識したとわけですね。

 

 幕府の権力が西国に及ぶようになると、それまでの時代の律令制度にもとづく役職と、新しく任命された「地頭」とか「守護」との関係をどうするかが問われてくる。その際、鎌倉幕府の御家人を律してきた習慣をそのまま適用するのではうまくいかなわけで、生じた争いを公正に裁くだけの規律が求められ、「御成敗式目」に結実していくのです。

 

 それだけなら、憲法と呼ばれるほどのものか、という問題はあります。日本最初の民法と言ってもいい。実際、「御成敗式目」が明治期の民法に受け継がれたという話もあります。

 

 大事なことは、「権力を統制する」という憲法に求められる役割が、この時期、生まれていくことだろう。その萌芽が「鎌倉殿の13人」に出てくる。

 

 それまでの時代は、いろいろあっても、裁くのは天皇だった。しかし、東国の武士はそれそれが権力を持っていて、鎌倉殿といえども自由にできるわけではない。前々回にもそういう場面が出てきたけれど、領地をめぐる争いが起きたとき、鎌倉殿(現在は頼家)はそれまでの時代の慣習をふまえ自分で裁こうとするのだが、御家人は言うことを聞かない。

 

 こうして、裁くに当たっては、事前に調査してどちらが正しいかを判断したり、公正に裁くやり方が定着してくる。「鎌倉殿の13人」を見ていると、そういう憲法の創世記が描かれているように思えてくる。

 

 「御成敗式目」が明治の民法に受け継がれたと書いたけれど、これは室町幕府でも適用されたし(新しい決まりは「御成敗式目」の改正という形式だった)、江戸幕府でも否定されなかったそうだ。

 

 三谷幸喜は、そんなことには触れないだろうけれど、御家人同士の関係をリアルに描いていくと、きっとそういうことが想像できるようなものになるのではなかろうか。楽しみである。