宮本路線のもとで前進してきた共産党だが、その引退後は勢いを失っている。宮本路線も限界を迎えているわけだ。それがこの本の立場である。

 

 著者に言われなくても、そこからどう脱却するかは全党的な課題である。目の前で党員の高齢化が進み、「赤旗」の配達が困難になり、「このままでは消滅してしまいかねない」と誰もが心配している。団塊の世代を迎えた私より少し年上の党員は、「自分の半世紀の人生が無駄でなかった」と思いたい一方、ではどうしたら現状から抜け出せるのか分からず、呻吟しているのが現状であろう。

 

 宮本後にも、意味のある探求はあったと思う。不破さんが97年に発表した「日本共産党の政権論について」は、安保廃棄の民主連合政府が現実味を失ったもとで、どうやったら政権に近づけるのかという方向性を示した。志位さんの2015年の野党共闘による政権への接近についても、意味のある試みだったと思う。しかし、安保や自衛隊をめぐる対症療法にとどまり、より根本的な解決策にまでには至っていない。大きな路線上(政治路線も組織路線も)の探求が必要なのだろう。

 

 この本からは、著者自身が、その同じ問題意識に立ち、心配する様子がほのかに伝わってくる。読んでいると、「あれ、仲間じゃん」「同志みたいですね」という感じがするのだ。党外の人に、しかも日本を代表する政治学者に、そんな心のこもった心配をしてもらえる共産党は、とても幸せなのではないだろうか。

 

 もちろん、著者が共産党にとっての選択肢として提示している方向性が、本当に選択肢として適切かどうかは、私にも分からないことが多い。社会民主主義について言えば、二段階連続革命論を放棄し、共産主義のことを「未来社会」と言い換え、何千年もの将来の課題みたいに位置づけた時点で、もうすでに現在の路線は社会民主主義と変わりないのではないかとも思える。民主(急進)社会主義の路線についても、ジェンダー平等とか部分的には取り入れていて、それが歓迎されると同時に、逆に足がもつれる原因になっている面もあると感じる。

 

 だから、何が適切かは分からないのだが、大事なことは、党員誰もが党の現状を心配しているのだから、どうすればいいのか議論が巻き起こることだと思うのだ。どんな路線であれ、上から提示されたものを受け入れるというスタイルでは、国民の共感を得ることはできない。共産党のなかには物事をよく考え、経験も豊富な人が多いのだから、異なる意見であってもそれを闘わせることによって、何らかの道筋を見いだしていけるはずなのだ。

 

 この本は、「そんな議論が必要な時期になっているよね」、「いましか、ないよね」ということを党員に自覚させる役割を果たすのではないか。そんな気がする。(続)