小泉純一郎氏が首相の時、イラクに自衛隊を派遣することになり、防衛事務次官争いに敗れて防衛研究所の所長だった柳澤さんを担当者として官邸に呼び寄せた。内閣官房副長官補という、副長官の上に「補佐」がついてあまり偉そうな感じはしないが、いわゆる事務次官扱いである。官僚のトップということだ。小泉さん、あれだけの異論を押し切って派遣したわけで、もし失敗したら政治生命に関わると思って、柳澤さんに白羽の矢を立てたのだろう。

 その柳澤さん、その後、安倍さん、福田さん、麻生さんと4人の首相に仕え、民主党の鳩山政権が誕生したところで、定年で退職することになる。そして、自衛隊のイラク派遣を真剣に反省し、総括しなければならないと考え、その作業を開始しておられたのだが(これはのちに「検証 官邸のイラク戦争 元防衛官僚の反省と批判」として結実する)。

 ここで鳩山さんの迷走が始まるわけだ。普天間基地の辺野古移転をめぐって、選挙の時は「最低でも県外」と約束していたのに、「抑止力」を理由にして辺野古に回帰していくのである。

 柳澤さんも当初、辺野古回帰しかないと考え、それをどうやって穏健に実現するかという視点で眺めていたらしい。しかし、その根拠となっている「抑止力」のことを考え始めると、そう単純ではないと思うに至ったそうだ。防衛官僚として長い間、抑止力のことを政策の不動の前提として捉えてきたが、実はほとんど何も考えないままそうしていたのではないか、そこを疑い始めたわけである。

 その結論として、2011年1月の「朝日新聞」への寄稿があった。一言で言えば、抑止力が必要だという前提に立ったとしても、沖縄に海兵隊が存在する理由にならないのだから、徹底的な検証が必要だというものだった。

 その頃、伊波さんが東京で講演するのを聞く機会があった。伊波さんも柳澤さんに注目していて、パワポのスライドで柳澤さんの新聞記事を取り上げ、防衛政策の基本を堅持したとしても、普天間の辺野古への移転は不要だということではないかろ論じておられた。

 その時点で、私は、柳澤さんに会いに行く決意を固める。幸い、朝日新聞の論説で責任者をしているのは、学生時代からの友達だったので、「お会いできないか」と打診をしてもらったのである。(続)