ずっと考え続けているけれど、なかなか「これだ!」と納得できるものを見つけられない問題について、先日のトークライブを前にいろいろ考えた。いまでもボンヤリとしているのだけれど、バラバラでも書いておこうと思う。

 

 沖縄問題で最初に私のステレオタイプの認識を崩されたのは、国会議員の秘書になった30年以上前のことである。予算委員会の担当となり、委員会が開かれている間は、朝から晩までずっと委員会室に入り、傍聴することとなった。

 

 それまでの私は、日米安保条約は諸悪の根源なので、それを容認する自民党は許せないし、その国会議員も当然のこととして「敵」認定をしていた。だから、予算委員会で自民党議員の質問が始まると、あとで批判するための材料を手に入れるのだと、一言も聞き漏らさない意気込みで座っていた。

 

 そしてあるとき、沖縄選出の自民党議員が質問する番になった。沖縄のように、日米安保条約の被害が集中している場所で、なぜ安保を堅持して強化する自民党の議員などになるのか、許せないヤツだと怒りに振るわせながら質問を聞きはじめた。

 

 そうしたら、なんと、恥ずかしいことに、感動してしまったのである。さすがに当時それを告白すると批判されただろうから、ずっと黙っていたのだけれど。

 

 もちろん、質問の中身までは覚えていない。沖縄で起きている基地被害の実情を鋭く告発するのがテーマだった。だったら根源である安保を批判しろよと思いながら聞いていたのだが、その議員が追及する角度は、自分たちは安保堅持の国策を支持しており、だからそこから生まれる問題についても多少は容認するつもりでいるが、それにしてもここまでひどいのは許せないというものであった。

 

 すごく切々とした訴えで、心に響いた。そうか、安保を容認しているからこそ基地被害が余計に許せない、そんな気持が存在するのだと、生まれて初めて知った気がする。少なくとも沖縄問題を考えるに当たって、安保に賛成するか反対するか、そこで敵味方を分けてはならないと、心にぼんやりと浮かんだのだと感じる。(続)