本日、沖縄の施政権が返還された1972年5月15日から50年です。それまではアメリカに施政権があって米軍基地も管理していたわけですから、その日以降、米軍が基地を使用するには日米の合意が必要となります。5・15メモメモとは、その使用条件に関する日米合意のことですが、その中身がちょうど25年前に明らかになりました。そこで当時、月刊誌「経済」に簡単な解説を書きました「なぜ米軍は沖縄の基地に固執するのか——5・15メモから特措法改悪のねらいにせまる」というものです。その当時、沖縄の基地問題は少しは解決に向かうと思っていたのですが、ここまで変わらないとは。ということで、ちょっと長くなりますが、上下で連載しておきます。

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 沖縄の米軍用地強制使用問題は、5月14日の土地の使用期限切れを目前にして、重大な局面を迎えています。政府は、使用期限が過ぎても土地取り上げを継続することを至上命題とし、米軍用地特別措置法の改悪を推進しています。

 

 いうまでもなく沖縄の米軍基地は、あの悲惨な沖縄戦の後、占領下での私有財産の没収を禁じた国際法に違反してつくられ、「銃剣とブルドーザー」で拡大されたものです。1972年の本土復帰にあたって、当然そのような不法占拠状態には終止符が打たれるべきでした。ところが、日本政府は、契約なしに一定期間の土地継続使用を許す公用地暫定法をつくり、1982年まで土地の取り上げをつづけました。

 

 暫定使用という名目では説明しきれない段階にはいると、こんどは米軍用地特別措置法という、恒久平和と国民の財産権をうたった現行憲法のもとでは許されない法律が、県民におしつけられてきたのです。

 

 いま、この法律にもとづく使用期限が切れ、土地の返還を求める地主と継続使用をたくらむ政府の間で係争が起き、収用委員会で真理がおこなわれています。これは、米軍用地特措法にもとづく手続きです。地主と政府は、特措法というルールのなかで争ってきたのです。特措法の改悪は、このルールでは政府が負けそうだから、絶対に負けないよう、ルールそのものを変えようということです、こんなアンフェアーなことが、法治国家で許されてよいはすがありません。これでは、国民の財産権という憲法の規定は、政府の都合次第で無視してよいこととなり、有名無実なものとなってしまいます。

 

 なぜ、このような無法をおかしてまで、日本政府は沖縄の基地を米軍に提供しようとするのか。米海兵隊の普天間基地の問題でも、沖縄県民があれほど切実に撒去を求めているのに、日米両国政府は、沖縄のなかで基地をたらい回しすることに執着しています。その真意が、最近その一部が公開された「5・15メモ」によって、あかるみにでました。

 

一、周辺有事へ沖縄基地の自由使用を保障

 

 5・15メモとは、沖縄の施政権の日本への返還(1972年5月15日。5月14日に期限切れがくるのは、この返還日と関係があります)にともない、日米両国政府(日米合同委員会)が、沖縄の米軍基地の使用条件について定めた合意議事録のことです。

 

<あきらかとなった5・15メモのリストの意味>

 

 報道によれば、5・15メモは、英文でA4版257ぺージにおよび、以下の14の合意議事録の総称だということです(末尾の番号は筆者が便宜的につけたもの)。

・出席者名

・沖縄の施設・区域に関する合意覚書

 施設特別委員会の覚書に記載され使用を許される施設・区域(1)

 訓練区域の指定に関する覚書(2)

・沖縄の施設・区域の個々の覚書

 87訓練施設・区域(3)

 訓練区域の指定(4)

・周波数分科委員会覚書

 沖縄の施設・区域に係わる電波障害に関する覚書(5)

 沖縄の米国軍隊通信システムの電搬路の妨害に関する覚書(6)

・出人国分科委員会覚書(7)

・国連軍の沖縄の施設・区域の使用

 施設・区域に所在する軍用銀行のリスト及びリストの改訂(8)

 米軍の第三国人雇用者リストの改訂、及び沖縄の施設・区域に勤務する第三国人リスト(9)

 国連軍の沖縄の施設・区域の使用に関する覚書(10)

・諸機関の労務協約改訂第107号(11)

・民間航空分科委員会覚書(12)

・合意の概要の公表について(13)

・250回日米合同委員会議事録の承認(14)

 

 あきらかになったメモは、量的にはこの合意の大部分をしめるとはいえ、「沖縄の施設・区城の個々の覚書」など、部分に過ぎません。しかしながら、この14のリストを見ただけで、米軍が沖縄の基地に執着する真意が浮かび上がってきます。それは、「国連軍」が沖縄の基地を使用するための特別の覚書(10)が存在していたという事実が、このメモによってあきらかになったからです。

 

 アメリカは、朝鮮戦争で派遣された「国連軍」名目の米軍を、戦後も維持していましたが、1960年の安保条約締結時に日米間で締結された交換公文により、在日米軍は「国連軍」の名目でも活動できることになりました。この「国連軍」こそ、アメリカが有事の際に軍事介入を正当化するためにおいている軍隊です。

 

<有事の際の基地自由使用が沖縄返還交渉の核心>

 

 沖縄の基地返還交渉にあたって、重要な焦点となったのは、まさにこの「国連軍」のあつかいをはじめ、有事の際の基地使用の問題でした。アメリカ側は、返還前と同様に使えるようにすることを、日本側に強く要求していました。

 

 沖縄返還に関するアメリカの基本方針を定めた69年5月28日付の国家安全保障決定メモランダムは、「軍事基地の通常の使用が、特に朝鮮、台湾、ベトナムとの関連において最大限自由であること」を定めていました(「沖縄タイムス」96年2月16日付)。当時のランパート沖縄高等弁務官も、米議会下院で「私は主たる任務が軍事基地を引き続き作戦に使用できるようにすることにある点をよく知っている」と証言していました。これにたいして日本政府側も、「戦闘作戦行動を内地なみにチェックするような案を米側がのめないことは客観的事実だ」(下田駐米大使)という認識でした。

 

 アメリカ側の要求に日本側が全面的にこたえることを明確にしたのが、沖縄返還協定の締結(71年6月)に先立つ69年11月、佐藤総理とニクソン大統領の間で結ばれた日米共同声明でした。

 

 共同声明は、「沖縄の施政権返還は、……米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではない」として、「米国が、沖縄において……軍事上の施設及び区域を日米安保条約に基づいて保持する」ことを明確にしました。そのうえで、「朝鮮半島の平和維持のための国際連合の努力を高く評価し韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」として、朝鮮半島有事を日本有事としてとらえるという認識を表明したのです。

 

 これらの規定について、多くの人々が当時、有事の際の米軍による基地の自由使用を保障したものと受けとめたのは当然でした。佐藤総理自身が、「(朝鮮有事で)米軍が日本国内の施設・区域を戦闘作戦行動の発進基地として使用しなければならないような事態が生じた場合には、事前協議に対し前向きに(positively)かつすみやかに態度を決定する方針」だとのべました。しかも、「国連軍がいることも注目」すべきだとして、「国連軍」が出動する場合の日本の協力は、「日本の立場と、わが国の国際協力の立場」の双方を考慮したものになると表明したのです。米軍が「国連軍」の名で行動する場合、日本の立場は二重に積極的なものになるというのです。ここに、「国連軍」による沖縄の施設・区域の使用に関して、特別の協定が必要になる理由があると思われます。この5・15メモの非公開部分、あるいは他の秘密合意のなかで、有事の際の基地使用や作戦指揮が取り決められていることが、十分に推測されます。

 

 咋年4月の日米安保共同宣言にもとづき、「周辺有事」と称して、日本が攻められたときでなく、アジア地域に軍事介入する計画づくりがすすんでいますが、沖縄の基地は、各種の秘密取り決めにより、この計画にとって欠かせない役割をもたされているのです。沖縄県民が、「有事のために沖縄の基地が必要だということは、沖縄が発進基地となり、逆に沖縄が相手国の攻撃の対象となることだ」と批判するのは当然で、すべての秘密取り決めが公開されることが、切実に求められます。(続)