結論から書こう。「ミサイル攻撃から日本国民の命を守るため、敵のミサイル基地を叩くしか手段がない場合、それに賛成するか反対するか」という問いが立てられるなら、私は「賛成」と答える。

 

 その問いに対して、「問いそのものがおかしい」とか、「外交手段でなんとかすべきだ」とか、「安保条約絶対の自民党政治のもとでは、敵の日本に対するミサイル攻撃も、全て米軍や自衛隊による先制攻撃に対する反撃として行われる」と答えることは可能だ。実際、左翼・平和運動はこれまでもそう答えてきた。

 

 しかし、問われているのは、あくまで「ミサイル攻撃から日本国民の命を守るため、敵のミサイル基地を叩くしか手段がない場合」という条件下での問題なのである。これに「反対する」と答えることは、国民の命は守れないという結論に直結するのである。

 

 絶対平和主義の市民や市民運動が「反対する」と答えることは構わない。自分の命を失っても理想を守るという考えは貴重なものとして受け止める。しかし、他人の命まで自分の理想に巻き込むことは許されないし、だから政府とか政権を目指す政党は、あくまで国民全体の命を守ることが基準にしなければならないと考える。

 

 大事なのはその先である。この問いに「賛成する」と答えたところで、では実際にそのための軍備を整備するのかということと直結する訳ではない。自民党の政治だって、この問いには何十年もの間「賛成する」と答えながら、敵基地攻撃能力は持たないできた。

 

 なぜそうだったかというと、安全保障を含め政治決断を左右するいろいろな要素を考えた時、それが得策ではないという判断があったからだ。現在においても、そういう要素を総合的に判断する冷静さが必要である。

 

 ミサイル攻撃に対して100%の安全を求めることが、実際問題として可能なのか。100%がないことは誰もが認めるところである。

 

 100%はないとしても、それに近づくよう努力すべきだという考え方もある。しかし、そのためにどれだけの予算が必要なのか、誰もまだ試算さえしたことがない。相手が1000のミサイルとその発射基地を保有しているとして、こちらが持つべき装備の内容はどれだけ必要なのか、基地が移動式だった場合、どうやってそれを発見するのか、発見するための衛星を打ち上げるとしてどの程度の数が求められるのか、正確を期すために敵基地周辺にスパイを潜入して監視するべきかどうか、等々。

 

 世界のどの国も、このような問いに対して回答を持ったことはない。自民党の提言は、ただ勇ましいだけで、政策を提言するにたるだけの緻密さ、具体性がないのである。

 

 なかなか終わりませんね。明日が最終回。(続)