(9条の会、新日本婦人の会、平和ネット3.5講演会の記録)

一、足元の現実と9条の理想の乖離への自覚が大事だ

 2、日本はすでに戦争する国になってしまっている

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 護憲運動のスローガンの一つに、「日本を戦争する国にしない、そのために9条を守ろう」というものがあります。今回のウクライナ危機でも、9条はプーチンのような戦争する人をしばる役割があるとの論調が、ごく一部にありました。

 

 日本を戦争する国にしてはならないという気持は共有します。けれども、日本は戦後、一度も戦争したことがないと言えるのか、自民党の政治はそんなに立派なものだったのかというと、そうではありません。

 

 現在、ロシアが侵略したということで、国際社会がロシアに経済制裁を発動しています。その経済制裁は、ロシアだけでなくベラルーシにも向いていることをご存じでしょう。ベラルーシは、いまのところウクライナに兵を送っていません。それなのになぜ経済制裁の対象になるのか。

 

 それは、戦争する国に出撃基地を提供しているという事実だけで、立派な「参戦国」と認定されるからです。出撃基地なしに戦争ができないのですから、これは戦争をくり返してきた諸国家の慣習法です。国連総会が1974年に採択した「侵略の定義」という決議でも、「他国の領域に対する砲爆撃」などとともに、「他国の使用に供した領域を(在日米軍基地をということです)、当該他国(アメリカ)が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家(日本)の行為」もまた侵略だということを明確にしています。

 

 そして、みなさんご存じのように、日本はかつてベトナムを侵略するアメリカに出撃基地を提供しました。2003年のイラク戦争

でも同じことをくり返しました。国際法の考え方からすると、日本もまた侵略戦争に参加した実績があるのです。憲法9条の下での参戦です。

 

 それなのになぜベラルーシのように経済制裁を科されなかったかというと、当時の世界では、超大国アメリカを侵略国家として批判するような力がなかったからです。ましてやベトナムには、自国領土内に侵入した米兵と戦う力はあったけれども、出撃基地である日本まで兵を送るような能力はなかった。ただそれだけの理由なのです。

 

 さらに、1999年に成立した周辺事態法は、日本有事ではない周辺の有事において、日本がただアメリカに出撃基地を提供するだけでなく、自衛隊が後方支援をすることを決めました。さらにさらに、2015年の新安保法制は、日本による集団的自衛権の行使を容認することによって、自衛隊が米艦防護などの名目で武力を行使する(派兵して)ことを可能にしました。

 

 だから、この日本は、すでに立派な戦争する国なのです。9条の下でつくられてきた法律によってそれが可能になっている。9条を守れば戦争する国にならないと受け取られるようなスローガンは、「最後の砦を守る」という意味があったとしても、現実からかけ離れていますし、戦後の自民党政治を美化することにもなります。

 

 護憲運動に求められるのは、すでに日本が戦争する国になっている現実を、どうやったら変えていけるのかということです。2015年の新安保法制の違憲部分を撤回させることは、そのための第一歩としての意味があるわけです。(続)