まだ連載は残っているが、この「ニュークリアー・シェアリング」の問題が浮上しているので、少し論じておく。そもそも論じること自体がダメだという人もいるが、どんなものかを知らないで、核の問題だから議論してはならないというのも、あまり誉められたことではないと思うからだ。

 

 この問題は、アメリカの核抑止力に頼る道を選択する場合、必ず通らなければならない道である。日本でも、過去には「核兵器の共有」に似た考え方もあったが(明日紹介する)、結局、現在のやり方に落ち着いたという経緯がある。

 

 一方のNATO。NATOでは、アメリカの(核)抑止力に依存することを早くから打ち出した点では日本と同じだが、かなり異なる道を進んできた。それが「核兵器の共有」である。1966年12月、NATO内に「核計画グループ」(NPG:Nuclear Planning Group)をつくったのが、そのきっかけだ。

 

 これは、NATO内で核政策の調整をはかる戦略協議をするための機関である。独自の核戦略を持つフランスを除き、当初は14か国が、NATOが拡大した現在では29か国が年に2回集まり、関連する分野で協議を進めているとされる。

 

 NATOがこのような協議の場を望んだのは、それなりの理由があると感じる。だって、いざという時にはアメリカの核兵器に頼るというのが、抑止力に依存する欧州諸国の基本的立場なのである。ところが、その核兵器を使う決断は誰がするのか、アメリカ任せでいいのかという問題が生まれる。

 

 使う核兵器の種類はどうするのか、どのタイミングで使うのか、使うとなればさまざまな問題での決断が必要とされる。これらをすべてアメリカの決断に任せるとなると、必要だと思う時に使われなかったり、逆に、使ってほしくないのに使われたり、欧州諸国の利益にならない可能性がある。

 

 それなら、アメリカとの間で大きな戦略的な協議を常にやっておき、認識を一致させておこう。そう欧州諸国が思ったのは自然なことだと思う。核抑止力に頼らない決断をすれば別の道はあるが、アメリカの核に頼る以上、自分の国の利益を反映させる方法を探求するのは当たり前だ。そして、その協議の結論として、NATOでは現在、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダに200発程度の戦術核が配備され、それぞれの国の爆撃機に搭載可能になっているとされる。

 

 ただし、3年ほど前、防衛研究所でNATOを担当している人に聞いたところ、実際の有事にこれがどのように運用されるのか、秘密になっていて他国の研究者が知るのはできないということだった。それはそうだろうね。どうやって運用されるのかをロシアには知られたくないだろう。

 

 ということで、NATOの実態はそんなところである。安倍さんたちはNATOのようにと言うが、実態をあまり知らないで議論することになるという自覚は、議論する人はしておかねばならない。ただ、核の使用に関することはすべてアメリカ任せでいいのか、戦略協議が必要ではないかという点は、アメリカの核抑止力に頼る政策を採り続ける限り、よくよく考えておかねばならないことだ。(続)