馬鹿げた問いを立てていると思われるでしょうが、わりと真剣なんです。安保条約の変容を表すことになると思うので。

 

 尖閣に安保5条が適用されるかって、日本政府がつねにアメリカに問いかけ、アメリカがイエスと答え、メディアが大きく報道するでしょ。まあ、岸田さんとバイデンさんの会談は、すでに昨年末に開催され、そこですでに確認済みなので、さすがに今回はしなかったけれども。

 

 これって、いろんな論じ方が可能だと思うんです。本日のタイトルは、その別の論じ方です。

 

 いまではこれが日本政府とメディア、そして大方の世論の常識になっているけれど、じゃあソ連との冷戦が問題になっていたとき、日本政府は大まじめに「安保条約第5条は北海道に適用されるか」ってアメリカを問いただしていたんでしょうか。そんな記憶はかけらもありません。

 

 というか、それって、日本から問いかける必要もなかったし、アメリカが答える義理もなかった。なぜなら、あまりにも自明のことだったからです。

 

 ソ連軍が北海道に上陸するという事態は、それだけが世界の事態から隔離されて起こるようなことは想定されていませんでした。世界規模での米ソ戦争のなかで考えられていた。

 

 例えば、中東で米ソ戦争が勃発したとして、お互いに本気度があがっていくと、極東のソ連軍も動き出します。3海峡を通って中東に向かう。それを自衛隊が阻止しようとすれば、ソ連は日本を屈服させないと中東にも行けないので、北海道から攻めてくる。そんな想定だったのです。

 

 日本がソ連の地上軍に手間取るようなことになると、アメリカは中東の戦争のための力が削がれます。それに、80年代までの日本にはまだそれなりに強い共産党があって、ここぞとばかりに「戦争を内乱へ」ではないけれど、戦争するアメリカと日本を批判して日本政治でのし上がってくるかもしれない。

 

 本当に「自由世界」と「共産世界」の対決が考えられていたのですね。だから、アメリカにとっては、別に日本防衛という思考がなかったとしても、北海道を取られることは、自由世界の敗北を意味していたから、安保5条を適用することは自明のことだった。日本政府も、北海道に5条が適用されるかどうか以前に、アメリカが共産世界に負けることをよしとするなんて考えられないから、米軍が出てくることに何の心配もしていなかった。

 

 尖閣への5条適用がこれほど問題になるのは、そこが根本的に変わったということです。アメリカは、無人の島が一つ取られたところで、「自由世界」が浸食されるとは思っていない(日本にとっては重大だけれど)。かえって、「共産世界」の非道を世界に訴える好機になるでしょう。日本の共産党も壊滅的な打撃を受けるだろうし。

 

 メディアの報道はまったく深みがないんです。誰か専門家が、まともに論じてくれないかなあ。