日本では軍事を忌避する風潮が長く続いたので、軍事と国民の権利を対立するものとして捉える傾向が続いてきました。実際に完全に両立することは無理でしょう。ただそれは軍事に限らず、国民の権利同士も対立することがあるので、権利との対抗関係は軍事に特有とは言えないと思います。

 

 しかし、米軍の本土での低空飛行訓練の実態などを見ると、かなりの程度、米軍が国民の権利や生活に配慮して訓練を実施していることがわかります。どんなルートでどんな高さで飛ぶかは公示されていて、かつ実際に飛ぶ際には事前に知らされるわけです。人だけでなく鳥などにも配慮して、産卵のために巣ごもりする時期は飛ばない、なんてこともやっているのですから。

 

 米軍は、海外で低空飛行訓練する際も、その国の国民の権利には配慮します。というか、そもそも例えばイタリアを例にとると、低空飛行訓練のルートや高さや幅はイタリア側が決定して米軍に使用を許可するかたちなので、イタリアの規制を受けざるを得ないわけです。

 

 ところが日本では、これらは米軍が勝手に決めることになっている。少なくとも公式には、日本側はどこにルートがあって、いつどんな高さで飛ぶかも知っていない。

 

 だから、国民の権利を守るための措置がとれないわけです。軍隊の訓練と国民の権利は、普通の主権国家なら両立する要素が多いが、占領延長型の米軍駐留の日本では難しい。それを痛切に感じます。

 

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三、対米従属と国民の権利擁護の両立は簡単ではない(国民無視型)

 

1、有事即応型だけなら必ずしも国民無視型とイコールではない

・米本土での低空飛行訓練の実例から

・日本でも自衛隊の運用なら国民の権利と両立を図っている

 

2、日本の責任で決められないので国民の権利とは相容れなくなる

 ・低空飛行訓練問題でのイタリアなどとの違い

 ・ソ連・東欧諸国の共産党指導下の青年組織との交流経験から

 

3、闘う気構えがあれば現状でも主権を貫けるし、なければ協定を改定したところで……

 ・第3条も「管理権」と呼ばれるが、「権利」の用語は存在しないのだから

 ・地位協定で保障された米軍の特権も場合によっては許さない姿勢が必要

 ・沖縄のPFOS問題も一度屈すれば禍根を残すことになる

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