宮本会見は大きな反響を呼び、テレビやラジオですぐ報道された。党本部の電話も鳴り響いたようである。電話は翌朝まで続く。

 

 かかってきた電話のほとんどは、「いかなる国の核実験にも反対という立場になったのか、かつての態度を変更したのか」というものだったらしい。しかし、宮本会見は突然のものであったので、どう説明していいのか混乱も生じたようだ。「いかなる」問題は堅持していると答える人もいれば、「いかなる国の立場になったのなら都議選では共産党に投票する」と言ってくる電話には「そうです、よろしくお願いします」と答える人もいたという。

 

 常識的に言えば、中国の核実験に反対することを打ち出したのだし、今後、社会主義国の核実験にも反対すると言っているのだから、「いかなる国の核実験にも反対」という態度への変更であった。1961年にとった態度が間違っていたというものだった。実際、社会党は6日午後に声明を出し、共産党も「いかなる」の立場に立ったとし、そうである以上、原水爆禁止運動の分裂の責任は共産党にあり、その反省を求めると述べた。

 

 ただし、共産党の対応は微妙であった。宮本会見の当日にも、メディアから同様の質問が出されているが、宮本氏はそれに直接には答えていない。「われわれは、アメリカが核戦争の起動力という観点はいつでもはっきり主張する。その点ではいまの原水禁と認識は違う」としたが、「5つの核保有国が核開発競争をすすめている。これにどのような基本的態度をとるかについては一致できるだろう」として、「(原水禁運動の)統一は可能だと考える」と答えただけであった。

 

 一方、社会党が出した声明に対しては、翌日、西沢富夫氏が会見を行った。そこでは、社会党が「いかなる」の立場を押し付けたから運動が分裂したのであって、「そのことを反省せず、わが党があたかも社会党の立場に立ったかのようにえがきだすことは、歴史の事実をゆがめるものであり、まさに身勝手な無責任な態度である」と述べた。共産党が「いかなる」の立場に立ったのかどうかは明言していない。

 

 その同じ月(7月)末に光られた中央委員会総会が、この問題での結論を下した。宮本見解は、「態度変更」ではなく従来の一貫した立場の「一つの発展」であるというものである。

 

 なぜそうなるか。「いかなる」論は「侵略、被侵略の同列視論」であり、アメリカが「核戦争の危険の元凶」、「核兵器開発競争の起動力」であることを見失ったものであり「これを免罪するような態度をとらないことは、われわれの変らない一貫した」理論的見地であるというのである。中ソについては、この「明確な科学的見地に立ちながら」、現在の国際情勢のもとでの「社会主義核保有国」の「役割や態度を具体的に分析」し、それに応じた「現実的な評価を明確にしたものであり」、われわれが「いかなる」の立場に「移行したなどということとは全然共通点のない問題」であるとした。また「いかなる」論者は「核兵器そのものを人類の敵」と見なし、誰が核兵器を所有しているかを問題にしない誤りを犯しているとした。

 

 要するに、誰が核兵器を保有しているかどうかで、侵略の兵器か被侵略の兵器かの違いが生まれる。アメリカが頑強であり起動力であることに変わりはない。しかし、社会主義中ソをリアルに分析すれば、その核兵器が被侵略だとは言えないといいうことであった。

 

 これほど分かりにくい説明はないが、私なりに推測を交えながら言うと、現実に存在している世界では中ソも含め平和の核兵器は存在しないが、理論的に見ればいずれの日にかアメリカの核独占を打ち破る平和の核兵器を持つ国があらわれる可能性があるので、その日以降は「いかなる」問題の誤りが明確になるだろうから、「いかなる」はやはり間違いだったことにしておこうということであろう。そうとしか説明しようがない。

 

 ただ、説得力はない。そこで、内部では別の説明がされていたようである。(続)