それにしても、なぜ、日本の市民・平和運動は、中国が武力行使をすると公言しているのに、それを正面から批判できないのであろうか。あるいはかつてのことだが、ソ連に対する批判も十分ではなかったのであろうか。

 

 それを考えるためにも、その運動で重要な一翼を担ってきた共産党の問題を検討する必要がある。この問題をめぐる日ソ両党会談の真実など、本格的には本にする時に紹介するが、とりあえずさわりだけ。

 

 この問題をあまり気にしていない人でも、共産党がかつて中国の核実験を批判しないどころか、賞賛していた事実を知る人は多いだろう。たとえばウィキペディアにも引用されているのでネットでもよく話題になる有名な話だが、1964年10月30日、共産党の岩間正男参議院議員は、参議院予算委員会で、中国の核実験成功(1964年10月16日)について次のように述べている。

 

 「世界の四分の一の人口を持つ社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。その結果、帝国主義者の核独占の野望は大きく打ち破られた。」

 

 これは、岩間さんが突出していたわけでなく、共産党の考え方を正直にのべていただけだ。そして、この態度を続けたおかげで、その10年後の1974年、世論から猛反発を受ける事態が発生する。

 

 私に質問をくれた人は、おそらく共産党のように、資本主義と社会主義の対抗関係のなかで、社会主義の側に立っているから批判を控えようというものではない。たぶん、かつて帝国主義列強に領土を踏みにじられた過去があるから、批判の対象にしてはならないという立場なのだと思う。

 

 ただ、中国を批判しないという点では、かつての共産党と同じであり、その共産党が原水爆禁止運動や九条の会や、その他の市民・平和運動で大きな力を持っていて、それらの運動に参加している一般の人にも影響を及ぼしているので、共産党のことを検討したい。というか、私が共産党のことしか知らないこともあるのだけれど。

 

 アメリカの核兵器は「戦争のためのもの」で、ソ連や中国の核兵器は「平和の力だ」という共産党の認識が最初に挑戦を受けたのが、1961年の「いかなる国の核実験」問題であった。その後、63年に「部分的核実験停止条約」問題が浮上し、その二つが区別と関連をもって原水禁運動を大きな岐路に立たせることになる。その際にもっと突っ込んで検討しておけば、74年の大問題もなかったし、その後、21世紀になってまで中国問題で揺れることもなかったはずである。(続)