なぜ市民・平和運動が中国に対して「台湾に対する武力介入方針を撤回せよ」と要求し、その実現を求める運動を展開しなければならないのか。理由はいくつもある。

 

 何よりも、中国がそういう方針を持っていることが、そもそも台湾をめぐる緊張の原因である。その方針が撤回されれば、アメリカが軍事的対応を準備する理由もなくなるし、日本がそれに追随することもなくなる。原因と結果を取り違えてはならない。

 

 さらに、原因を根絶する運動をしないで、結果だけを批判する運動、つまりアメリカと日本の対応だけを批判する市民・平和運動のことだが、そんなことで広い国民の支持を得られることはない。もしそれが昂じて、実際に中国が台湾に武力行使をしたときも、中国に対する批判をしないで、軍事的に対応するアメリカと追随する日本を主な批判の対象にするのだろうか。そのことだけを考えても、中国を批判の対象から外す市民・平和運動は生命力を失っていくだろう。

 

 私に対して質問をしてきた方は、私の中国批判を聞いて、私のことを右翼に転落したのかと感じたと書かれていた。中国を批判する運動なんて、右翼とどこが違うのかと。少なくとも私の中国批判が強かったことだけは理解してもらえたと思う。それが伝わっただけでもうれしい。

 

 しかし、右翼と私の中国批判は、内容はまったく違う。右翼が中国の武力介入方針を批判するのは、それに対抗する軍事力強化を正当化するためだ。アメリカも日本ももっと軍事面で準備をせよと求めるためだ。

 

 私の(そして私が市民・平和運動に求める)中国批判は、中国の政策、方針から「台湾に対する武力行使」という選択肢をなくすためのものだ。全然違うだろう。これは市民・平和運動にしかできない。

 

 あの衝撃的なキッシンジャーの北京訪問があり、ニクソンが訪中したのは72年だった。それを受けて日本は早くも9月に日中国交正常化を成し遂げる。ところがアメリカと中国の国交正常化は79年まで待たねばならなかった。なぜか。

 

 それは日本方式での正常化を求める中国に対して、1つはアメリカが台湾との政治上の関係を維持したいと考え、中国との間で一致が得られなかったからである。もう1つは、アメリカは中国に対して「台湾を武力で解放しないよう約束してほしい」と要求したのだが、それも中国からはねつけられたからだ。

 

 中国の態度は、「統一の方式は内部問題だ、「中国は一つ」と認めるなら、内部問題に干渉するな」というものだった。結局のところ米中は、アメリカはそう主張することと、中国がはそのアメリカの主張をを公式には否定しないというところで妥協した。

 

 つまり、戦後政治において、中国の代表権問題で重大な間違いを犯したアメリカ(日本もだが)には、台湾への武力行使を撤回さ

せることを中国に約束させる道義的な力がない。それをやれるとすると、早くから中国に代表権を与えよと求めてきた日本の市民・平和運動だけなのだ。

 

 私は、その役割を果たそうと主張しているのである。ところが、過去にもソ連を批判しないという運動があったように、現在、中国を批判しない運動が広範囲に存在する。(続)