さて、私に質問を寄せてくださった方は、なぜ私が「中国悪者論」を述べたのかと疑問を呈してる。私の中国批判は台湾問題に限定されなかったのだが、それが台湾問題とどう関係するのかということについてもである。

 

 そういう用語を使ったわけではないが、私が中国を主要な批判の対象にしたのは事実である。それは、日本の平和運動というものが、アメリカや日本は批判するのに中国批判をためらうが故に、平和運動としての信頼性を弱めてきたと感じるからである。とりわけ台湾問題というのは、中国が武力行使の選択肢を手放さないことから生じていて、その方針を中国が放棄すれば誰も心配しないで済む話なのに、平和運動(と左翼勢力)は、その中国の方針を批判することなく、アメリカや日本に批判の矛先を向けているからだ。これでは、あまりに現実から遊離していて、日本国民の広い支持を得ることはできないし、台湾問題を解決することもできない。

 

 最近まで共産党の地区委員長をしていた知人から、先日、ある相談を受けた。有力な支持者が、かつて共産党が1964年に開始された中国の核実験を容認していたことを知り、「気になり気になり、とても気になり、おおいに気になり」と伝えてこられたのだが、どう答えたらいいだろうかという相談だった。もう半世紀以上も前に中国の核を擁護したことが、いまでも暗い影を落としているわけである。ましてや、台湾問題というのは、国民の目の前で起きている問題である。

 

 だから私は、実際に自分が思っている以上に中国批判の分量を増やし、アメリカ批判の分量を減らした。これまで国連憲章51条の集団的自衛権はアメリカの策動の結果だとする見方が左翼運動では主流だったが、その間違いを指摘したりもした。

 

 そのくらい徹底しないと、私の真意が伝わらないと考えたからだが、おそらく大半に人にとっては平和運動が中国を批判の対象にすること自体が想像を絶することであり、「難しかった」という感想も少なくなかったように、理解がついていかなかったと思う。私に質問をしてきた方は、そこをちゃんと理解してもらえたというか、私のお話の意図がそこにあることを正確に見抜いてくれたわけで(だから批判をしてくれたのだ)、それだけでもありがたいことである。

 

 その話は次回以降、もっと詳しく論じる。その前に、2年ちょっと前(19年1月2日)、「台湾同胞に告げる書」発表40周年記念会で習近平が行った演説について書いておく。(続)