1979年1月1日、中国は全国人民代表者大会常務委員会の名前で、「台湾同胞に告げる書」を公表した。台湾の武力解放の方針から平和的統一への踏み切ったものだったが、中国語原文で1800文字程度の短いもので、統一の方式などには踏み込んでいない。それが具体的に出てきたのは、2年8か月後、常任委員会の委員長だった葉剣英が発した、「台湾の祖国復帰,平和統一実現の方針・政策に関する談話」である。

 

 この2つは、次回に論じるが、その40年後に出された習近平の台湾統一問題の方針とは、かなり趣が異なっている。万が一の際には武力を使ってでも統一を実現するなどの表現は、どこにも出てこない。「対等な立場交渉を行い、第三次合作を実行し、共に祖国統一の大業をなしとげる」(「談話」)ことを呼びかけるのだから、その対等な交渉相手に武力を使うと威嚇するなんてあり得ないことだから、当然のことかもしれない。

 

 また、昨日も触れたが、「国家の統一が実現してのち、台湾は、特別行政区として、高度の自治権を享有する」だけではなく、「軍隊を保有することができる」ことも明確にされた(「談話」)。香港で高度な自治が奪われたのは、人民解放軍が香港に常駐し、中国の意向を押し付ける上で究極的な役割を持っているからであり、台湾に保有が許される軍隊の規模次第では、高度な自治を守ることもできるのではないかと思わせるものがあった。

 

 しかしまず、人民解放軍で高度な自治が奪われ、「一国二制度」が崩壊したのは、その「一国二制度」の制度設計そのものに原因があったと思う。台湾の現状の何を尊重するのかについて、葉剣英の談話を見ると、それが分かる。

 

 「台湾の現行社会・経済制度を変えず、生活様式を変えず、外国との経済・文化関係を変えない。個人の財産、家屋、土地、企業の所有権と合法的な相続権及び外国の投資は、侵犯されない。」

 

 要するに、変えないのは「社会経済」だけである。「政治」は変えるのである。自由や人権という、すぐれて「政治」に属することは、維持することが約束されていない。

 

 香港の最近の事態で誰もが知ることになったが、「一国二制度」と言っても、「政治」の全権を握る中国は実際は何でもできる。香港の場合も、全国人民代表大会が「香港特別行政区基本法」を制定したのだが、台湾も同じ方式だろう。そして、香港では昨年、全国人民代表大会で「国家安全法」が採択され、中国の国家方針に異議を唱えることが犯罪とみなされるようになった。それでも中国は「これが「一国二制度」だ」と言い続けているのである。

 

 2019年1月2日、「台湾同胞に告げる書」発表40年に行われた習近平演説は、この建前としての「一国二制度」さえ投げ捨てるようなものだった。ということで、次回からは、中国そのものの問題、中国問題で日本の左翼、平和運動が抱えてきた弱点について書いていく。(続)