1980年代初頭、「一国二制度」を中国が提唱した当初、私はそれなりに評価する立場だった。それまで中国は台湾の武力解放一辺倒で、ようやく平和的に解決する選択肢を提示したものだったから、当然である。また当時の台湾は、まだ蒋介石を受け継いだ蒋経国の独裁体制時代であって、建前として本土の武力解放を掲げていたから、対比も鮮やかだった。

 

 さらに1984年、イギリスと中国が共同声明を発表し、香港の返還と返還後の「一国二制度」で合意した。当時、本当に香港で高度な自治が保障されるかという懸念はあったが、中国では改革開放が始まったばかりで、将来は自由や人権が改善されることへの多少の期待は残っていたこともある。

 

 さらに大事だと思ったのは、香港には人民解放軍が進駐するが、台湾は独自の軍隊を持つことを許されると中国が明確にしたことである。97年に実施された香港返還式典の様子をテレビで見ていると、返還が宣言された途端、人民解放軍が香港との境を超えて入ってくる様子が中継され、軍隊が駐留するということは、いざという時には香港の人々の自由への渇望が弾圧されることだと心配したこともあったから(最近の事態で現実のものとなった)、台湾に独自の軍隊の保有を認めるという立場は、かなり踏み込んだものだと感じたのである。

 

 ただ、それから24年が経ち、無視できない変化が生まれている。その最大の問題は、台湾では自由と人権が飛躍的に前進したが、中国では一時期前進するかとの期待が生まれたが、この間、どんどん後退がみられることである。

 

 そんな国内の問題は「一つの中国」とは関係ないという立場もあるかもしれない。しかし、自由と人権を享受している2400万人の民に対して、それを後退させる政治制度を受け入れろと迫ることはできないと私は思う。

 

 「一国二制度」がそれを受け入れる側の自由と人権を脅かすものであることは、現実の香港の事態で明白である。国際的には、最近の事態について、もはや「一国二制度は崩壊した」という評価が主流であるが、中国は現在も「一国二制度は維持されている」という立場である。

 

 つまり、台湾に対して「一国二制度」を受け入れろということは、香港のような事態になることも想定の範囲内として受け入れろということなのである。

 

 じつは、「一国二制度」そのもののなかに、そのような問題点が内包されている。明日はその問題。(続)