綱領の自衛隊規定に関する私の理解は前回のようなものだ。だが、そうではない党員も少なくない。

 

 軍事力は一切ダメだという人も少なくないというか、そんな幹部もいる。そういう人にとっては、安保も自衛隊は同じ軍事力だから、どちらも一刻も早くなくしたいということになろう。

 

 しかし、綱領では、両者を明確に区別していて、安保は廃棄しても自衛隊の廃止はさらにずっと先なのである。安保廃棄後、アジアの情勢を見極めてからでないと、次の段階には進まないのだ。両者を軍事力でひとくくりにしている人は、綱領のこの神髄をあまり理解していないようだ。というか、この立場は厳密にいうと綱領に反する。

 

 あるいは、私は科学的社会主義の本流の立場なので、自衛隊に限らず共産主義になれば暴力装置は不要になると考えるが、科学的社会主義の理論よりも憲法九条が優先するという立場の人もいる。とにかく自衛隊廃止を前倒しするべきだと考える人だ。かなりいるし、最高幹部のなかにもいるだろう。

 

 以上に紹介した2種類ような綱領の解釈だと、立憲民主党との間では、永遠に政策的な接点が生まれない。立憲民主党との政策協議が焦点となり、この問題での共産党の政策は安保と自衛隊の廃止であるとよく言われるし、共産党自身もそう思い込んでいるように見える。だからそういう立場を政権協議に持ち込まないと言っているのだが、それはかなりおかしいと思う。

 

 だって、じゃあ、自衛隊を廃止するまでの何十年(私は何百年だと思うが)の間、共産党の政策をなんと表現するのか。侵略されたら自衛隊は使うというのだから、この期間、共産党の政策は自衛政策と言えばいいではないか。

 

 自衛政策であると言えるなら、立憲民主党の「専守防衛」と接点が生まれる。自衛と専守防衛とどこが一致し、どこが一致しないのか、議論ができるようになる。今のように、自衛隊と安保に関する独自の立場を持ち込まないということに固執している限り、まったく政策が異なるから議論のしようもないことになる。

 

 だから、党首選挙をやって、綱領の解釈をめぐって議論を行い、少なくとも立憲とは接点があるという見解が共産党の中にもあることを、外に向かって明らかにすべきではなかろうか。共産党には幅があって、豊かな議論が行われていることが伝わることも、立憲などが共産党に寄せる「理念や体質の異なった政党」という認識を改めてもらうことにつながると思うのだけれど。

 

 最後は規約との関連の問題。というか、現行規約でそういうことが可能かという問題だ。(続)