この産業遺産情報センターの展示の根本的な問題は、ほとんどが軍艦島出身の日本人の証言で固められていることです。展示するとユネスコで約束したのは、「(朝鮮人が)その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」ことなのですから、そういう朝鮮人の証言抜きには約束を果たしたことにならない。

 

 いや、一人だけ、在日2世の方の証言があって、差別はなかったとか、日本人にかわいがられたと書かれています。だから、意思に反して連れてこられたわけでない、厳しい労働ではなかったと朝鮮人も証言していると言いたいのかもしれません。でも、その証言、最後にこう書かれているんです。どう感じますか。

 

 「端島(軍艦島の正式名称—松竹)から出たというのはちょうど戦争が始まったからですよね。あの頃にたまたま事故が立て続けにあったんですよ、炭鉱で。「お父さん、ここ、端島におったら、いつ事故に遭うかわからけんから、もう端島から出たほうがいいんじゃないか」ということで、炭鉱の方には、ちょっと長崎の知人のところに行くということで端島から出る許可証をもらって。労務課からは、「まだ帰ってこんのか、まだ帰ってこんのか」という、いつも確認に来よったんですけど、「いや、まだ来ないです」ということで。そうすると、もう長くなると、僕とお母さんはもう必要ないわけですから、出るのを許可してもらった状態で香焼に来たと。それが正直、事実ですよね」(続)