池江さん、100メートル自由形でも優勝し、二枚目の五輪キップを手にした。しかし、わが「赤旗」は引き続き、見出しで「代表へ」と書きつつ、五輪の代表であることは書かないでいる。記事にしないという選択肢はないが、五輪を前提とする報道はしたくないという苦渋が、ここにあらわれている。

 

 でも、例えば、本日朝の「羽鳥慎一モーニングショー」である。五輪開催反対のスタンスを強く打ち出している番組だけれど、それでも「池江さんが五輪で泳ぐ姿を見たい」「五輪の開催には意見があるけれど、国民の100%がそう思っている」と羽鳥さんが述べていた。

 

 五輪の開催がコロナの感染を広げることへの不安は誰もが持っている。同時に、五輪に出ることが池江さんの支えになってここまで来たことも喜びもみんなが共有している。その二つは矛盾するものだけれど、そこを正直にあらわすと、モーニングショーみたいになるのだと思う。

 

 それでいいんじゃないかな。心の矛盾って、誰にもあるものだから。

 

 その矛盾しているものを、一方を正しいと決めてしまったら、もう一方は正しくない、悪いという思考に陥ってしまいがちな場合がある。共産党や「赤旗」は律儀だから、余計にそうなるよね。

 

 また話は変わってしまうけれど、9条と自衛隊の関係でも同じである。20数年前、共産党は、9条を将来にわたって堅持する正しいものと態度を変更したことによって、軍隊=自衛隊というものを断固として拒否すべきものと位置づけてしまった。

 

 国民の多くは、9条と自衛隊は矛盾しているけれど、どちらかを放棄するということはできないと考えている。だから、政権をめざす多数派になろうとしたら、その矛盾した感情に寄り添っていかねばならないのに、矛盾を放置できないがんこさというか、頑なさというか、多数になれない弱みがそこにあるわけだ。

 

 池江さんに対しても、羽鳥さんのように、「五輪でがんばる姿を見たい」と言えばいいのにね。国民多数の共感を得ようと本気で考え、深く突き詰めてみると、もっと気の利いた言い方もあると思うんだけどね。