今年初め(1月8日)、韓国のソウル中央地裁(地方法院というのが正式名称らしい)が慰安婦問題で判決を下した。被告になった日本政府がそもそも裁判に応じなかったので、控訴はされないまま、判決は確定した。
大事な問題なので、当初サラッと目を通したが、忙しさにかまけて精査しなかった。少し余裕ができ、やっと本格的に読んだので、いくつか感じたことを書いておく。
まず、中身以前の問題である。このような判決にどういう立場でアプローチするかということだ。
日本政府に賠償を命じる判決であるし、すでに確定判決となったということで、日本政府に批判的な人々、あるいは自分は慰安婦に寄り添う側にいると自負している人々にとっては、大変うれしい判決だったろう。それはそれでいいのだが、ではだからといって、この判決とその根拠にされた考え方を、そのまま全面的に肯定することが正しいのかということは、よくよく考えないといけない。
この裁判では、日本政府は国際法上の主権免除の原則を盾にして、裁判に応じることを拒んだ。国家というのは、国際民事訴訟において、外国の裁判権から免除されているという考え方である。
だから、原告の側は、その原則が通用しないことを裁判で証明しようとして、いろいろ証拠を出した。判決もそれを根拠にくだされた格好である。
ということで、判決を喜んでいる人が書いたものを見ると、日本政府が主張する主権免除なんてのは19世紀の古い考え方という論調を見かけることがある。現在の国際法は大きく変わったというのだ。
しかし、判決文を見たって、主権免除が排除される場合はかなり限定されるとされているとの自覚はある。ジェノサイドとか侵略とかである。主権免除というのは、かなり限定的だというのが、韓国の裁判所も含めてとっている考え方だ。
そして判決は、慰安婦問題が主権免除が排除される重大な事件だとして、通用しないのだと主張しているのである。では、そういう重大犯罪では主権免除が一般的になっていると言えるのか。
それはこれから論じていくけれども、一つだけ事例を挙げておこう。重大犯罪なら70年以上前のものでも外国を訴え、賠償させるのが国際的な流れだというなら、なぜ日本の原爆被爆者はアメリカを訴える裁判を起こさないのか。韓国の慰安婦問題での今回の判決を支持する弁護士は、被爆者にアメリカを訴える裁判を起こそうと働きかけないのか。
女性を慰安婦にすることは人道犯罪だが、原爆で何十万人も殺し、いまなお生き残った被爆者を苦しめていることは、それよりも軽い犯罪だからなのか。そんなことはないだろう。
被爆者救援運動に何十年も携わっている弁護士なども含め、そんな裁判を起こしても通用しないとよく知っているから、そうしないだけである。主権免除の原則というのは、いまだに国際的に通用しているのである。今回の判決も韓国の裁判所だからこそ下せた判決なのである。
慰安婦によりそうというならば、そんな世界の現実をふまえて、ではどんなことができるのかを提示しなければならない。主権免除はもう古いといって慰安婦を励ましたところで、何の成果も獲得できなければ、悔しさと恨みだけが残る結果になるのではないだろうか。弁護士の主張や判決の論理をそのまま鵜呑みにすることが、慰安婦に寄りそうということではないというのが、私の立場である。(続)