はい、昨日で終わりましたね。コロナで自宅にいることが多くなり、大河というものを、はじめて本格的に視聴しました。

 

 一昨日は、最終回を前にして、家の近くにある勝龍寺城跡の公園へ。光秀が死ぬ前の最後の夜を過ごした城だとか。ネットで「光秀最後の城」というアピールを見て、「へえ、そんな城が近くにあったんだ」と思って行ったのですが、実は何年か前にも来たことがある場所でした。でも、その際は、細川ガラシャが住んでいた城という自覚しかなかったというか、光秀のことはアピールポイントになかったのですね。

 

 「麒麟が来る」は戦国武将の定番の物語ではなく、心理ドラマを観ているような感覚がありました。それが新鮮だったですね。織田信長の幼少時からのトラウマとか、最後の光秀の変身とか。だから戦国ものファンだけでない人々を惹きつけたのだと思います。

 

 本能寺の変のあとを描くのは難しかったと思います。だからこれで終わったのではないでしょうか。

 

 光秀がなぜ短時日で権力を失い、死ぬことになったのかは、あれほど周りから信頼され、期待された様子を描いたあとだけに、相当の説得力がないと描けないでしょう。テレビではそこを、秀吉の情報力と細川藤孝の裏切りで説明しているわけで、それはそれとしてあるでしょうが、それだけでは伝わらない。

 

 やはり、結局は室町幕府とか天皇とか、崩れゆく権威から自由になれなかった光秀と、新しい別の権威を打ち立てようとする信長から秀吉にいたる勢力と、そこの違いにあったのだと私は思います。でも、それを描こうとすると、今回のドラマとは違うテーマということになるので、とてもこの日程では無理だったということでしょう。

 

 でも、十分に楽しめたので、よしとしましょう。