昨日、訃報が伝えられた。まずはご冥福をお祈りしたい。

 

 安野さんとは一度だけお会いしたことがある。2006年の12月、新宿にあったアトリエだったと思う。

 

 私が現在の出版社に入社したのが、その年の10月だったので、直後だった。私はまだ1冊も本を出すだけの状況ではなかったが、他の編集者が澤地久枝さんの本をつくっていて、澤地さんが安野さんの絵を表紙に使いたいと希望していたので、その絵をお借りするためにアトリエにお伺いしたのである(画像)。

 

 

 たいへん気さくな方で、弊社が当時刊行したばかりの『みんなで一緒に「貧しく」なろう』(斎藤貴男)のことをとりあげ、「タイトルに品がない」とからかってきた。中身には共感を覚えてくれているようだった。

 

 私が70年代末に全学連委員長をしていたことを伝えると、60年代に公安警察から追われていた学生運動の闘士を助けた話などを、愉快に語ってくれた。「そうか、そんな方なのだ」と、とても親しみを覚えることになる。

 

 その後は一度もお会いすることはなく、津和野を訪れた時に安野光雅美術館を見学したり、新聞に掲載される記事や写真を見る程度だった。だが、これほど身近で親しみを感じさせる絵を描く人は、そうはいないだろうと思う。

 

 池田香代子さんが翻訳した『パブロ・カザルス 鳥の歌』の装丁も安野さんが手がけたことを知り(画像)、昨日、早速アマゾンで注文した。もう一度お会いしたかったなあ。