政府の表向きの言明(建前)とは違った展示になっていて、それを説明員に指摘しても、「私どもは政府ではないので分からない。言いたいことがあれば政府にどうぞ」と言われるだけなのです。政府はおそらく、「展示内容は任せていて介入しない。エビデンスのあるものだけを展示することは約束させている」みたいなことになるのでしょう。その結果、2015年のユネスコ会議での約束は、すべて反故になるという構造なのです。

 

 会議での約束を守ろうとすれば、徴用されたと主張する韓国人を取材し、テープに収め、展示することが不可欠でしょう。しかし、このゾーンを運営している人たちは、あくまで軍艦島出身者を取材し、展示しており、韓国までは出かけない。このセンターができる過程で、内閣府に、どんな資料を集めているかを聞いたのですが、日本の新聞や雑誌、官庁資料だけで、韓国のものは集めていない。

 

 そういう一方的なものになっていると批判が殺到することは、でも政府にとっても織り込み済みなのでしょう。唯一、このゾーンには、在日の方への取材内容が展示されています。しかも、他の日本人(70人)はパソコンで動画を見る方式なのに、この方だけは証言がパネルの大きな文字で展示されているのです。

 

 この方は、在日2世で民団の長崎県の団長を務めたこともある鈴木文雄さんです。ご自分ではなくお父さんが軍艦島で働いていたそうです。そして、朝鮮人に対する差別はなかったこと、自分などは子どもで日本人にすごくかわいがられたと述べておられます。朝鮮半島出身者もこういう証言をしているのだ、これがエビデンスだと言いたいわけです。これがゾーン3の目玉ということになるのでしょう。

 

 ネット上では「いやこれはウソだ」「差別されていた」と一部で批判されています。しかし私は、これは鈴木さんの嘘偽りのない言葉が展示されていると思います。戦争が激化する以前に来日した方の中には、まだ労働環境が過酷でない時代を経験した方もおられるのです。いわゆる徴用時代とは労働のありようが違っていた(日本人の労働も同じく過酷になりましたが)。

 

 でも、このパネルの中では、下のほうに鈴木さんの次のような言葉も書かれていました(写真を撮ると警備員が外に連れ出そうとするので、必死でメモりました)。これって、明日書きますが、とても意味深だと思われませんか?

 

 「端島(軍艦島の正式名称です—松竹)から出たというのはちょうど戦争が始まったからですよね。あの頃にたまたま事故が立て続けにあったんですよ、炭鉱で。「お父さん、ここ、端島におったら、いつ事故に遭うかわからけんから、もう端島から出たほうがいいんじゃないか」といいうことで、炭鉱の方には、ちょっと長崎の知人のところに行くということで端島から出る許可証をもらって。労務課からは、「まだ帰ってこんのか、まだ帰ってこんのか」という、いつも確認に来よったんですけど、「いや、まだ来ないです」ということで。そうすると、もう長くなると、僕とお母さんはもう必要ないわけですから、出るのを許可してもらった状態で香焼に来たと。それが正直、事実ですよね」(続)