コロナ対応を見ながら感じたことに限定しているので、包括的なものではない。と、まず言い訳。

 

 中国があれほど大規模な感染を起こしながら、現在のところ、なんとか終息させている。初期の隠蔽にはいかにも独裁国家らしさがあらわれていたが、一つのモデルとして研究に値するものではあると感じる。

 

 中国のやり方を論じながら、「あんなことは独裁体制だからできたことだ」と言う人がいて、それは半面の真理だが、それだけでは説明できない。世界には中国並みの独裁国家はたくさんあるが、独裁国家だからといって成功しているわけではないからだ。

 

 一方、同じく共産主義を掲げるベトナムも、それなりの成功例と捉えられている。共産体制と独裁体制が両立しているところに、中国との共通点がある(なお私は政治的自由がないだけで共産主義の資格はないと考えているので、ここで共産体制という場合、あくまで共産主義を掲げているというだけのことだ)。

 

 成功の要因はいろいろあるはずで、両国を研究しているわけでもない私が、問題を全面的に深く捉えられるわけでないことは自覚している。ベトナム事情に詳しい知人が、今度の問題でベトナムの保健所の先進性を教えてくれて、「へえ、そうなのか」と感じたこともある。

 

 それを前提にして言えば、成功の一つの要因となっているのが、「すべての国民を管理する」ということにあるのは、おそらく多くの人が感じていることだろう。徹底的に集団を検査し、感染が判明した人は強制的に隔離する。一人も漏らさないで、どんな店に、何時に出入りしたかも含め、徹底的な管理システムがつくられている。

 

 一方、日本の共産党がめざしているのも、似たようなシステムである。日本国民全体を定期的に検査し、感染者を隔離するのが、大きな目標とされている。しかしそれは現実的でないという自覚はあって、現時点では、感染源となっているところの周辺で、同じようなシステムをつくりあげるわけだ。その地域に住んでいる人、その地域に通っている人の全員を対象に、検査と隔離のシステムをつくりあげるわけだ。

 

 この現実を見ながら、共産主義を掲げていると、同じような発想が生まれるのだと感じたのは、私だけだろうか。いや、成功した事例から学んでいるのだから、それでいいのではないかという意見もあるだろう。

 

 けれど、日本でも中国のような成功をさせようとすれば、一人のこらず24時間を監視するシステムということになって行かざるを得ない。漏れがあったら、そこから感染が広がるのは確実だから。

 

 そこに共通点はあるのだが、共産主義を掲げていても独裁体制にはならない分岐点があるとすると、それは何なんだろうか。(続)