レーニン以来、社会主義・共産主義を掲げて誕生した国は、すべて独裁国家になりはてた。なぜそうなるのか、説得力ある解明なしに、日本で共産主義を掲げる思想、運動、体制が前進することはない。私も一人のコミュニストとして、ずっとこの問題で悩んできた。

 

 一つの説明は、これまでの共産主義国家は、もともと議会制民主主義の伝統のない、政治的に遅れた状態からスタートしたというものである。それまでも独裁体制だったから、共産主義を掲げてもなかなかそれを克服できないということだ。共産主義を掲げていても独裁体制を打破できないのかと悲しくなるけれど、一つの説明ではあった。

 

 しかし、現実をそれで説明することはできない。中国のことを考えても、本土と台湾は似たような歴史的、文化的、政治的水準でスタートしたが、共産主義を掲げた本土は独裁体制のままで、習近平の元でさらに独裁化が進行しているが、台湾は、民主主義国家の仲間入りを果たしている(共産党の存在を認められるかどうかという問題はあるだろうけれど)。

 

 それよりも何よりも問題なのは、ベネズエラの実例である。チャベス政権が社会主義を掲げてやってきたが、結局、国民を弾圧する体制に堕落してしまった。長く議会制民主主義の伝統のあった国なのに、社会主義を掲げて国政運営をしたら、いまのようになってしまったわけである。

 

 だから、遅れた国としてスタートしたから独裁が続いたのだ、日本のような議会制民主主義の伝統のある国では、共産主義になっても自由と民主主義が保障されるという言明は、おそらく国民が納得するところとならない。もしかしたら、共産主義ってやはり独裁に行き着くのだろうか、それともそうはならない合理的な説明はできるのだろうか。それをずっと悩んできたのである。

 

 最近になって、それに一つの回答を得た。コロナ問題のおかげである。コロナ禍が発生し、共産主義を名乗る遅れた状態からスタートした国がいろいろなことを発言して行動し、共産主義を名乗る発達した資本主義国の政党もいろいろ発言して行動し、共産主義を掲げている同士のことを比較しながら見ることができた。

 

 その共通点、相違点を比較し、分析すれば、何らかの結論にたどり着くことができるかもしれない。そうやって、まだボンヤリした状態だが、いくつか考えたことを書いておきたい。(続)