8月には毎年、いい番組が増えるよね。それだけの力も誠意もメディアにはあるということだから、大切にしてほしいと思う。

 

 一昨日の朝、NHKで、韓国人のBC級戦犯の話をしていた。日本兵として命令され、捕虜の殺害とか人道に反する罪を犯したということで、20数人が死刑に処せられた。番組に出ていた人は死刑にはならなかったが、死刑になった友人から、自分がそんなに悪い人ではなかったと世の中にしらせてほしいと頼まれ、それを背負ってずっと生きてきた。日本の片棒を担いだと責められるのがイヤで、韓国には帰らず、日本で暮らしてきた。

 

 慰安婦問題にも徴用工問題にも通底する問題だけど、その時点では日本人だったのに、敗戦にともなって日本人ではなくなることの意味は重たい。日韓が和解できない根本的な要素はそこに横たわっている。

 

 そのBC級戦犯だった方が言っていた。「日本人の戦犯はそれでも「祖国のためにやった」と思える。自分はそう思えない」と。

 

 慰安婦も同じだ。敗戦のその日までは、祖国である日本の兵士のためにやっていることだと無理矢理にでも思えた。ところが敗戦にともなって、そうだ、自分は敵の兵士のためにやっていたのだと自覚する。

 

 徴用工も同じ。敗戦の日までは、祖国である日本を勝たせるため、過酷な労働に耐えてきた。しかし、敗戦すると、韓国を支配する片棒を担いできたのだと愕然とする。

 

 慰安婦になった時点で、あるいは徴用された時点では、強制されたのではなかったかもしれない。しかし、敗戦にともなって、まったく別の感覚が生まれることは避けがたい。

 

 そこを日韓がともに理解できないと(もちろん日本のほうにより深い理解が必要だが)、なかなか和解は進まない。日本人の慰安婦なり徴用工は、同じことをしていたのに、なぜ韓国の人はそんなに問題にするのだと感じてしまうからである。

 

 そんなことを思いながら、8.15までの日々を過ごすんだろうな。