学生のとりくみの到達点

 

 日本の民主的学生運動は、常に科学と真理を探求してきた優れた伝統を語っている。第二次大戦敗戦後、国土は荒廃し、学生たちはよれよれのカーキ色の軍服を着て学園に復帰したものの、校舎は焼けただれ勉学に打ち込むどとろか生活を維持していくのがやっとであった。そのなかで、学生は侵略戦争のお先棒をかついだ反動的教授の追放と学園の民主化、祖国の独立と民主主義の実現めざしてたたかうとともに、学問への新しい情熱を燃やしていった。全学連は一九四八年にこうした活動のなかで結成されたが、五一年に創刊されたその機関紙が「祖国と学問のために」と名付けられたのは、まさしくそうした学生の要求と活動を象徴するものであった。科学と真理の探求が戦後学生運動の出発点からの中心的な任務の一つであったことは明らかであろう。

 

 それでは現在、知的めざめを社会進歩に結びつける見地からみた学生の真理探求の活動、学問研究活動はどのような到達点を築いているのであろうか。

 

 学生運動における学研究活動の重要性が学生運動のなかで本格的に提起されたのは、一九六七年のことであった。この年の三月、日本共産党が「赤旗」主張で「学生党員と民青同盟員はもっ勉強しよう」とよびかけたことが一つの契機となって、この年の秋に全学連の第八回中央委員会がこの問題を学生運動自体の重要問題として正面からとりあげ、「学生運動の二つの任務」を、「一つは学生の独自の要求と全人民と学生の共通の要求、政治課題にもとづいて、民主勢力の一翼としてたたかうことであり、もう一つは、こうしたたたかいとともに学び、研究する活動、文化・スポーツ活動を通じ、広い教養と深い専門的知識や技術を身につけ、将来も日本の民主的発展に貢献できるすぐれた民主的な知識人、勤労者となる準備をするということ」だと定式化した。

 

 「二つの任務」の定式化は様々な反響を巻き起こした。一部には「大学の教育研究条件が劣悪である限り、そこで深く学べるほずがない」とする主張、反対に勉強を理由に自治会活動にもとりくまないなどの誤った傾向も生まれたとはいえ、「二つの任務」は、学生の生活と要求に合致したものであったために、その正しさは実践のなかで検証されていったのである。そして、「二つの任務」の定式化以降、学生の学問研究活動の立場と方法が本格的に論議、追求されはじめ、大学の管理運営の民主化の闘争と結びついて授業内容改善の運動が起こり、自主的なゼミナール、サーク活動の正しい発展を促進するなど、この十年間にわたって学生生活と学生運動のすべての分野にわたる具体的な改善と努力が積み重ねられ現在に至っている。

 

 現在の学生運動は学問研究活動のこうした成果のうえに、様々な困難に直面しつつも「授業を軸に」学ぶ活動を強めている。部外者には当然の常識と見られるであろう「授業を軸に」勉学にとりくむ態度を学生運動のなかで定着させることは、実際には大きな困難がつきまとっていた。大学には自由な学問研究と体系的な知識、専門学問の修得を期待して入学しても、そこでは、自民党政府の反動的な文教政策と乏しい大学予算のもとで一教室に数百名から千名詰め込まれるマスプロ授業、一方的に講義されるだけで対話のない、自発性の養いにくい授業が広く横行している。そのような状況のもとで、意識的な努力がなされないなら、学生が学ぶ意欲を喪失し、授業を軽視する傾向が生まれやすい。そして、大学に出て来なくなったり、あるいは「サークルこそ唯一の成長の場」と考えて、授業時間もサークルに没頭する学生もいるのである。けれども私たちは、そうした困難とたたかいながら、学ぶ意欲と活気あふれた学問をつくるための努力を一貫して積み重ねてきた。

 

 東京大学教養学部では、この春から学生の学ぶ要求に応えて「理想的な授業めざして」と題するシンポジウムを何回か持ってきた。このシンポジウムでは「語学や解析の教官にきてもらい、日ごろ学生が授業で感じている不満や要望、また、教師が学生に望んでいることなどを率直に出しあい」(日本共産党第十四回大会での発言)、その結果、学生も「語学を学ぶ意欲がわいてきた」と喜び、教師にも「最近の自治会はよいことをするようになった」と好評であった。その他の少なからぬ大学でも、授業に自治会の役員が率先して出席し、積極的に質問するなどして授業全体の雰囲気を良くするなどの努力がおこなわれはじめている。このなかで、クラスの学生の連帯帯も強まり友情が培われ、自己の学業と生き方の問題についても討論がおこるなど、人間的なつながり、生きがいを回復するうえでの成果もあがっている。

 

 また、学生寮といえば、夜は遅くなるまで騒がしく昼は正午すぎまで寝ていると見る「常識」も一部にはあり、また事実そうした寮もあるが、最近では、生活規律の乱れ、各種の退廃を克服する努力をつよめ、ある大学では、寮生の自主的な規律として夜九時以降を「勉学のための静粛時間」としたり、朝には「朝食をとって授業に行こう」と寮委員会が寮内に放送して呼びかけるなど、勉学の場としての学生寮の在り方が問い直され、具体的な改善がおこなわれはじめている。

 

 こうして、学びがいのある授業づくりのとりくみが、大学の教育研究条件の改善、拡充のたたかいとあわせて、学生自身の学ぶ姿勢や態度を問い直す運動として前進しいることは今までにない重要な特徴になっている。

 

 日本における学生の学問研究活動のもう一つの特徴は、学生自身の自主的なゼミナール、サークル活動が発達し、この分野でのいくつかの全国組織も確立してきているということとであろう。

 

 冒頭で述べたように、サークルの発展の背景には、生きがいや友情を求める学生の強い要求があり、同時に大学の教育内容が学生の満足するものでないという事態が横たわっている。ここから学術系のサークルでも、学生はそとで単に研究を目的とするのでなく、友人と人生や社会、生き方についての真面目な討論をも求めている。

 

 すでに全国組織の確立している団体だけでも、全国教育系学生ゼミナール、全国学生社会福祉ゼミナール、日本農学系学生ゼミナールなどがある。さちに、これまで遅れていた社会科学研究の分野でも、日本共産党の提起もあって、この春以降、「社会科学研究会」「略物論研究会」「マルクス経済学研究会」「歴史学研究会」など、百以上のサークルがあらたに結成され、既存の二百サークルと併せてこの十二月、「全国学生社会科学系研究会連絡会議」が結成されようとしている。

 

 また、全国医学生自治会連絡会議、全日本看護学生自治会連合、全国保育学生協議会などは、分野別の学生自治会の連合体であり、その構成員の要求実現、生活と権利の擁護のために運動する組織であるが、同時に、医学、看護学、保育学というそれぞれの専門分野での自主的な研究活動をもおこなっている。

 

 これらの組織は、構成員の友情と連帯の要求などに応えるとともに、年に一度、研究の成果の発表と交流のためのゼミナール大会を開催するとともに、月に一回程度、専門セミナーや講演会を開き、研究水準の向上とその成果の普及に努めている。

 

 全学連はとれらの学生諸団体と協力して一九六五年以来毎年十二月に「全国学生学術文化集会」を開催しているが、当初千〜二千名の規模であったこの集会は、この数年六千名こえる学生が参加するまでに発展し、全国の学生の友情と連帯を培うとともに、学術文化活動の方向をさし示し、日頃の研究成果を交協するうえで大きな役割を果たしている。

 

 学生の知的めざめを社会進歩に結びつける活動は、今後ともこのような学問研究活動の到達をふまえて前進しなければならない。(続、「赤旗」評論特集版1979.12.5)