明日から東京に出るので、政府が新宿に開設した「産業遺産情報センター」に見学に行こうと思っていた。あの徴用工問題での資料も展示しているところである。

 

 ところが、予約制だよと教えてくれる友だちがいて、あわてて電話をしてみたら、なんと8月末まで予約が一杯だって。誰がそんなに見学したいのだろうね。

 

 見学したら感想を連載するつもりでいたけれど、それはかなり先までお預けである。ということで一話だけ。

 

 報道によると、軍艦島で働いていた日本人の証言が多く展示されているようだ。それって一次史料だから大事なものだと考える。

 

 その1人に井上秀士さん(故人)の証言があると報道されている。これって、証言を集めて回った加藤康子さん(元内閣官房参与)が聞き取ったものだろう。その一部は、「月刊Hanada」の特別号(2019年1月刊行)にも出ている。文中、「先山」とは実際に炭鉱を掘る人のことで、それを運ぶ後山の対比で使われる。端島とは軍艦島の正式名称(この引用の一部は筆者の『日韓が和解する日』でも引用している)。

 

 「ケージのなかで朝鮮の人に『アボジ』(お父さん)って親しみを込めて呼びかけたら、ワッと笑顔になって喜びよったよ。先山が自分の班の連帯感を強める目的で、いまでいう飲み会ば開く時も一緒にいたもん。仲間やけん。端島では同じ班の仲間は家族も同じだったとですよ。一心同体ちゅうて。

 危ないところに朝鮮の人たちだけが行かされたという記述なんて愚の骨頂たい。第一、仕事にならんもん、そげなことしたら。技術のない朝鮮の人を一番危ないところに配置して、どうして石炭を掘るか? 払い(採炭場)は傾斜が急だからですね、訓練せんば入られんとですよ。そいで危なか場所で掘る人はお金の高い人さ、最高さ、最高ばもらうわけたい。朝鮮の人でも日本人でも新人は三人一組で仕繰り(坑内の天井や壁が崩落したり落盤しないように、枠をはめたり柱をたてて補強し、安全確保をすること)。採炭した炭ば箱に入れて坑外へ運ぶ。そればっかりさせよった」

 

 加藤さんは、これらの証言を集めることで、「『人間として生きられない地獄』であるはずの端島は、島民の思い出のなかで違う顔を持っていました」として、当時の暮らしを懐かしむ人々を紹介する。また、「端島において、どこに朝鮮の人たちと日本の国内の人たちの差異があったというのか」という証言を紹介したりする。

 

 さて、これらの証言をどう見るのか。政府が韓国に反論するため、意図的に収集し、あるいは意図的に編集したものなのだろうか。

 

 それはない。10人も20人もがわざとウソを言ったり、政府が勝手に編集したものを許容することはないだろう。

 

 まず、賃金についての記述は、おそらく間違いない。三菱美唄労働組合が編集した『炭鉱に生きる』(岩波新補)にも賃金差別はなかったとの証言が出て来る。朝鮮人の賃金は低い場合が多かっただろうが、それは熟練度の差異というものだったと思う。

 

 問題は、日本人が当時を懐かしんで思い出すのに、朝鮮人にとっては苦痛の記憶になっていることである。ではそれは、朝鮮人がウソをついているからなのか。それも違うだろう。その違いが出てくるところに、この問題の本質を理解するカギがあると思う。(続)