政府は本日、国家安全保障会議(NSC)の会合を首相官邸で開くという。イージスアショアの撤回をふまえ、安全保障戦略を練り直すとか。夏頃には全貌が出てくるのだろうか。

 

 戦後の日本ではずっと、アメリカが矛で日本は盾、という安保戦略の基本が維持されてきた。それが安倍政権下で少しずつ、日本も矛の一部を担う方向が打ち出されている。例えば、抑止力という言葉も、以前はアメリカの核抑止力を意味していたのに、現在は「日米同盟の抑止力」という言い方がされて、日本もまた何らかの分担をすることが含意されている。  

 

 今回、敵基地攻撃能力の可否が議論になるというから、それなりに本格的な検討になりそうである。ただしかし、「日米同盟の抑止力」という概念を変えるつもりはないみたいなので、最後はアメリカ頼みという姿勢は変わらないのだろう。

 

 しかし、敵基地攻撃能力を持つというなら、そこがカギになることは安倍さんにも自覚してほしい。北朝鮮のミサイルが飛んでくると判断するとして、その判断は日本独自で行うのか、ミサイル発射基地を攻撃するとして、その攻撃の判断は日本が独自で行うのか、日本の攻撃の結果、北朝鮮から報復のためのミサイルが飛んで来るとして、それへの対処も日本独自で行うのか。

 

 あるいは、それらも引き続きアメリカに頼るということであって、結局、あまり変わらないのか。「日本も能力を持っているんだぞ」と言ってみたところで、結局、アメリカに頼るというのでは、親の庇護のもとで拳銃をもてあそんでいるようなものである。

 

 それに、日本が敵基地を攻撃した結果として日本が被害に遭っているとき、アメリカは本当に助けてくれると判断しているのか。「アメリカを信頼している」以外になにか根拠があるのか。

 

 安全保障戦略が議論になるのは基本的にいいことである。戦後日本の安全保障の議論は、「アメリカに頼る」という政府と、「九条があれば大丈夫」という護憲派が、空想の世界で対決してきた。そして、非武装の護憲派より、多少危険はあっても敵に対抗してくれる政府ということで、自民党政権が維持されてきた。攻撃されることがあったとして、それに自分でどう対処するのかという、自分の責任を突き詰めた議論がされないことでは、両派は共通しているのだ。

 

 そこに変化が生まれるとしたら、安全保障会議で議論されることも、意味のないことではなかろう。さて、コロナで自粛していたけれど、「自衛隊を活かす会」も出番が訪れますね。夏から秋にかけては忙しくなりそうです。