康宗憲さんと私の見解が違う最大のところは、イベントでは表面化しなかったけれど、日本のかつての植民地支配がすでに違法だとみなせるのか、現時点ではそうまでは言えないかである。康さんは前者で、私は後者ということになる。

 

 ただこれは、実践的にはそれほど大きな違いではない。私だって、どうやったらかつての支配を違法だと認めさせていくのかという見地であり、康さんだって、すでに違法だとみなせるからといって、日本政府がそれを認めるとは考えていない。現状からの飛躍が必要だという点では同じなのである。

 

 ある行為が国際法で違法か合法かというのは、なかなか難しい問題を含む。『憲法九条の軍事戦略』のあとがきに書いたことだが、イラク戦争のとき、国際法学会の理事長も務めたことのある著名な国際法学者をお招きして学習会を開いた。その先生は「イラク戦争は違法だ」という立場でお話をされたのだが、終了後の質疑の中で、「イラク戦争は合法だ」という立場での論証も可能だと言って苦笑されていた。

 

 だって、国際法というのは、明文化されていない慣習法も含むから、そもそも解釈には幅が出て来る。どの解釈が正しいかを判定する裁判所もない(というか国際司法裁判所はあるが、あらゆる問題に判決を下すわけではない)。慣習法って、国家の慣習を重視する立場であるから、その慣習が歪んだものである場合、法も歪みを持つことになりかねない。

 

 ただ、すべての国家が「これは違法」と認めるようになれば、その行為が違法だとみなされることは疑いない。植民地支配についても、かつて植民地支配をした国々が自分の行為を違法だったと宣言すれば、それは違法になっていく。

 

 しかし、現状は、そういう国は一つもあらわれていないということである。だから、韓国の大法院が「植民地支配は違法」と宣言するのはいいのだが(というより大事なのだが)、一国の裁判所がそう宣言したところで、欧米日の政府の見解が変わらない限り、国際法は一ミリも変化しないということなのだ。

 

 だから、判決を下すだけでなく、どうやったら欧米日の見解を変えるのか、その手法を考えることに全力をあげないといけない。そういう努力を文在寅大統領がやっていないように見えるので、このままでは被害者は浮かばれないと思うのである。(続)