昨日で終了しましたね。いかがでしたか。わたしは、出張などで見られないこともあったけれど、家にいるときはいつもテレビをつけていました。

 

 宮藤官九郎さんが描こうとしたのは、安倍政権が必死で盛り上げようとしている2020とは異なって、庶民にとってオリンピックはどういうものであるべきかということだったと思います。いろいろな場面でそれが伝わってきました。

 

 前半では、最後に、関東大震災で焼け出された人たちが、競技場を使って自分たちのオリンピックを挙行する場面がありました。あれって、安倍内閣の「復興五輪」へのアンチテーゼでしたよね。被災者を置き去りにするのでなく、被災者に笑顔になってもらうオリンピックをという強烈なメッセージでした。

 

 昨日も、いろいろなメッセージが伝わってきました。例えば、開会式が行われた同じ競技場で戦時中に刊行された学徒出陣壮行会の場面を描くことで、オリンピックで日の丸が掲げられ、君が代が歌われても、過去を忘れてはならないと訴えていましたた。2020年も同じ場所で開会式は開かれるんですね。

 

 不幸にして参加できなかったインドネシア、北朝鮮の国旗を密かに掲げた場面も印象的だったと思います。日本が戦争の過去を乗り越え、アジアの国々との関係を回復していく上で、そこまでの気配りをしていた人は確かに存在したんでしょうね。閉会式で各国、各民族がごっちゃになって入場するって、前回の東京オリンピックが初めてだったんですね。やはり、アジアで最初のオリンピックがようやく開催されたというのは、どこで開催されたのであれ大きな意味のある出来事だったのだと思います。韓国をはじめ他のアジア諸国との関係がぎくしゃくする中で、何かを発信したいということは伝わってきました。

 

 問題は、そういうメッセージが本当に伝わったのかということです。それを伝えるには、わたしには、登場人物があまりにいい人過ぎるような気がしました。川島正次郎などを除いて、オリンピックを成功させるためみんな純粋な心で働く人として描かれすぎというか。主役はそれでいいんですけど。

 

 例えば、都知事の東龍太郎です。もともとスポーツ系だし、純粋な気持ちはもっていたと思うんですよ。でも、わたしに言わせると、直接に体験していないので見聞に過ぎませんが、オリンピック後の高度経済成長による歪みを準備した都知事という面があって(だからその後の選挙で美濃部さんに敗北しました)、オリンピック熱を盛り上げることで隠そうとしたこともあったと思うんです(オリンピックのあった年に東京が水不足となり、水利政策がなっていないことを脇において「雨が降らないせい」だと発言したことがウィキで書かれています)。

 

 そういうことまで含めて描かれていたなら、2020年に向けても、ただ純粋な努力をしている人だけでないものがあることを、もう少し示唆するものになったと思います。ある問題から目を背けさせようと画策している人がいることも。まあ、あまり政治的になると、伝わるものも伝わらないのかもしれませんが。

 

 いずれにせよ、一年間、たいへん楽しませていただきました。宮藤官九郎さん、ありがとうございました。

 

 本日、日帰りで東京。会社の出張ではないんですけど、仕事と言えば仕事。