12月21日に「中国は社会主義か!?」と題してシンポジウムを行うことは、すでに何回か書いてきた。一般の人から見れば何の関心も払われないような企画なのだが、会場の都合もあって260名規模の部屋を取らざるをえず、がらがらになるかと心配していた。ところが、3週間前だというのにすでに申込みが200名を突破している。

 

 この企画を告知したあと、これまでずっと「中国は社会主義をめざしている」と中国を肯定的に評価してきた日本共産党が、突如、その規定を綱領から削除すると言いだしたので、それが火を付けたような面もある。

 

 これまでこのブログで中国を批判することに対して、真面目な共産党員と思われる方から、「内政干渉だ」という非難が寄せられることがあった。そういう真面目な方ほど戸惑いがあって、どう考えていいか分からず、シンポジウムに期待している要素があるのだと思われる。それなりの成果を出さないと、そういう方の足がすくんで動けなくなってしまうかもしれないと思うので、期待に応えられるよう全力を尽くしたい。

 

 ただ、内政干渉論の影響もあり、この主題で公然とした論争はあまりされてこなかった。そのため、どういう議論をしていけば生産的なものになるのか、なかなか見えてこない面がある。明日の打合せに備えて考えたことをちょこっと書いておく。

 

 社会主義とは何かについてはいろいろな議論があるが、私自身は、これまでの社会主義国による大失敗を含む試行錯誤を通じて、政治的解放と社会的解放との両方を成し遂げた(あるいはそれに接近しつつある)社会体制だという認識である。国民の権利という角度から捉えると、政治的権利と社会的権利の双方が満たされた体制である。それについては、『マルクスはどんな憲法をめざしたか』(大月書店)で書いている。

 

 その見地から言えば、中国は国民の政治的権利が未熟だというだけでなく、複数政党制を含む政治的権利を将来の目標としても目指していないという点で、社会主義とはとうてい言えない。10年ほど前、中国共産党の幹部学者の『中国は民主主義に向かう』(兪可平)という本を出版し、著者を日本にもお呼びして朝日新聞主催のシンポジウムも開催したが、率直に言って目指しているところの目標の低さにがっかりした。しかも、そういう目標でさえ最近は叫ばれなくなっているようだ。

 

 けれども、じゃあ、政治的権利が保障されていないから、中国は社会主義ではない、はい、おしまいで終わっていいかと考えているかというと、そういうわけでもない。(続)