北朝鮮人権法に対する態度を覆すほどの力は私にはなかった。「お前の考え方は間違っている」と突き放せばいいだけである。私がそれで説得されることもあり得なかったが、だったら無視すればいいのである。それなのに、なぜ、私を騙すようなやり方をしたのか。想像できることはあったが、もはや私には、それを問いただす気力は残っていなかった。

 

 そういう対応をされた私は、共産党の政策委員会で外交や安全保障を担当していくことはできないと自覚した。私が異論を提起する場合、そもそも意思決定過程に加えさせないというのが、幹部の方々の強固な意思だと分かったから。

 

 そこで、それ以前の自衛隊問題での意見の違いから、退職することは視野においていたが、正式に退職を申し出ることになった。意見が違っても、その意見を留保して仕事を継続すべきだという批判もあったが、そもそもその意見を出せないようなら意思決定システムでやっていくなら、仕方がない。

 

 退職は認められ、その後、最後の仕事として、人権問題で2年間ほど勉強した成果をまとめ、退職の直前、小池さんに提出してきた。退職後、それを『平和のために人権を 人道犯罪に挑んだ国連の60年』(文理閣)という書物にして刊行した。

 

 共産党の政策委員会のいいところは、そうやって勉強できることだよね。いろいろ新しい分野の問題が起きても、共産党が間違いのない態度がとれるよう、先を見越していつも勉強しておかねばならない。

 学生時代、学生運動にのめり込む2年生の夏から卒業するまで、出席数が単位取得の要件となる語学を除いて一回も授業に出席しなかった私が、人生の中で一番勉強できたのが、政策委員会にいた10余年だった。今は、その残り滓で仕事をしているようなものなので、共産党にはとっても感謝している。

 

 それにしても、連載の冒頭で書いたように、国連は、南アのアパルトヘイトやチリにおけるピノチェト独裁やイスラエルによるパレスチナ人迫害などを重大な人権侵害と位置づけ、内政干渉だという言い分を退けて批判してきたのである。その対象に北朝鮮を加えたのである。その時に、南アやチリやイスラエルは堂々と批判してきた共産党が、北朝鮮は批判してはいけないという立場に立ったことは(平行して中国に対する批判も控えるようになったことは)、社会主義と資本主義の人権問題を区別するダブルスタンダードだと印象づけた。これって、どんなに「自分たちは自由と人権の花開く社会主義をめざすのだ」と弁解しても、国民の中では通用しないものだ。

 

 来年一月、共産党は綱領を改定し、「重大な人権侵害は国際問題」と明確にしようとしている。中国に対する批判はするようになったし、北朝鮮の人権問題でもおそらく批判がされていくのだろう(ホームページには北朝鮮の人権問題は国内問題という北朝鮮人権法制定時の態度が掲載されていて、危惧はしているのだが)。遅くてもやらないよりはいいが、それにしても大きな禍根を残した。

 

 「重大な人権侵害は国際問題」というのは、ソ連と闘っている当時、共産党の存在意義のようなものだった。それが21世紀になってあっさりとひっくり返った。綱領を改定しても、ふたたびあっさりとひっくり返ることのないようにするためには、膿を出し切る議論が必要だと思う。政党だから「政治的必要性」との間で葛藤することもあるだろう。だけど、政党にとって最大の「政治的必要性」とは、党員や支持者が確信を持って有権者に向かえることだという考えを貫いてほしい。(了)