マルクス主義の基本中の基本概念が、原語のニュアンスを伝えきれない翻訳がずっとされてきたことによって、日本では少し歪められたかたちで伝わっているかもしれない。そのことはそのうち本として世に問うのであるが(それまでブログでは中身は書かない)、それを指摘した人の依頼もあって、ドイツ語のニュアンスを教えて頂くため、池田香代子さんお会いしたいとオファーしたら、ちょうどよさげな映画の試写会があるとかで、渋谷の試写室近くでお会いした。

 

 私は全然知らなかったのだが、田中美津さんという、日本におけるウーマンリブ運動の草分けというか、カリスマ的な存在がいる。映画はそのドキュメンタリーである。

 

 仕事には熱心だがこの映画にはそれほどでもないことを見抜かれてしまったのか、上映前にお話をしていたとき、池田さんから、「松竹さんは、こういうウーマンリブみたいな運動をどう見ているの?」と聞かれた。「やっぱり、そこを突いてくるか」と構える。

 

 ここはどうせ見抜かれるので、正直にお話をしておこうと思って、ほとんど関心がないことを告白する。「ウーマンリブもそうですし、いまのジェンダーフリーもそうですが、最初はそれでスタートするのは仕方ないけれど、いつまでも外国語であらわされて日本語の名称にならない運動って、どうも気持がついていけなくて」

 

 「そうね」と池田さん。「でも、この田中さんて言う人は、わたしもあまり知らないんだけど、土着の思想を持っている感じよ」ということなので、とにかく試写室へ。

 

 いやあ、本当に土着の人でした。ウーマンリブの映画という宣伝文句がとくに強調されているわけではないけれど、もしそうやって評判が広がるなら損をすると思う。

 

 一言で言うと、なんだろうね。5歳のときに性被害に遭った女性が、自分の気持ちと自分の住んでいる世界の間に存在する違和感に苦しみつつ、そこを乗り越えていく映画かなあ。「この星を、私の星にする」ための模索と格闘を描くわけだから、男女を問わず、普遍的な問いと答えを描いているように思える。

 

 田中さん、沖縄の辺野古との闘いに継続的に参加しているのだけれど、その一つのきっかけになったのが、池田香代子さんのブログで見た写真だった。米軍占領下で大型車両に轢かれた少女の写真で、ブログが映画でも出てきて、弊社から出版して頂いた本(『引き返す道はもうないのだから』)まで少し見えていた。これは偶然だったなあ。

 

 外から輸入されたイデオロギーを翻訳するのではなく、この日本の土着の言葉、思想で闘う重要性を提示している。その意味で、冒頭のマルクスの話にも通じていて、非常に楽しめた。

 

 10月26日(土)より渋谷の「ユーロスペース」で公開。その他、横浜シネマリオン、大阪シネ・ヌーヴォ、神戸元町映画館、京都みなみ会館など。