いちおう、自分なりに納得できるものを書き上げました。いくつかの出版社から好意的なお返事を頂いていますが、問題は、大手出版社というのは来年初頭までのラインナップが決まっていて、私程度の著者が「緊急出版」で割り込むのが難しいことです。ということで、どこで出すかは考えますが、とりあえず「あとがき」をご紹介します。

 

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 韓国大法院が徴用工の賠償請求権を認める判決を下したあと、日本国内では大きな論争が巻き起こった。筆者は、日韓関係には多少の関心を持ってきたが、司法のことには詳しくない。それでも議論に参加するためには判決を読むことが不可欠と考え、ウェブ上で公開されたものに目を通した。

 

 率直な感想は、国内論争の多くは的外れだというものだった。例えば、朝鮮人が強制連行されたことを取り上げ「賠償は当然だ」という人もいれば、逆に「強制連行はなかったのだから賠償の必要はない」という人もいたが、判決文では強制連行を賠償の根拠にしていないどころか、「強制」の文字さえほとんどなかったのだ。要するに、論争に参加している人の多くは、判決が提示した新しい論点を知ることもなく、過去の思い込みにもとづき持論を展開しているように思え た。

 

 それよりも何よりも大法院判決を読んだ最大の驚きは、個人の請求権が残っているかどうかという抽象的な論理で構成されていなかったことだ。日本が過去に支払った三億ドルが「請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見なければならない」として、 個人の請求権問題を「包括的に勘案」したものだと率直に認めていたことだ。事実上、請求権協定が想定する個人の請求権はすでに果たされたということだ。その上で、まったく新しい請求権の論理を導きだしていたのである。

 

 ところが、徴用工を支援する側の人々の間でも、「国家が請求権を放棄しても個人の請求権は残っている」という、過去の常識的な論理の枠内で議論する人が多かった。新しい論理に気づいている人はいても、その新しい論理をどう評価して、どうしたら請求が認められるかの論理構築はされなかった。 

 

 従来型という点は、政府にも共通している。政府は一貫して「韓国側が条約に反している」「その状態をまず是正すべきだ」として、韓国が態度を改めるまで、対話をみずから呼びかけようともしない。

 

 しかし、韓国大法院の判決は、実は日本に対して深刻な問題を提起している。この判決は、「植民地支配は違法だった」「だから併合条約は当時から無効だった」とする論理に立ったもので、 日本の条約解釈には違反しているが、韓国側の条約解釈には合致しているのだ。もし、韓国側の解釈が正しければ、大法院判決を受け入れざるを得なくなるということだ。

 

 では日本は、韓国側の解釈を間違いだと言い切れるのか。それで説得できるなら、六五年に問題は終わっていたのである。説得できないから、本書で明らかにした通り、日本はいつか問題になってしまうことを自覚しながら、条約解釈をあいまいにしておくことで、六五年の条約交渉を乗り切ったのだ。それがいま問題になっているのであり、ではどうするのかが日本にも問われているのである。

 

 韓国側の条約解釈は、現在の国際法解釈から乖離しているので、日本はとりあえず堂々としていられる。けれども、韓国側の論理に対応し、新しい論理で対抗できないと、いずれほころびが出てくる可能性がある。 

 

 このような議論が政治のレベルでは皆無だった。そこに危機感を覚えて取り組んだのが本書である。

 

 他の地域の植民地問題は、独立に際して戦争が勃発し、何万、何十万という犠牲が双方に生まれ、ようやく解決していった。日本と韓国の場合、そういう体験をせずにあいまいに決着させたことが、現在の混乱につながっているわけだ。

 

 けれども、視点を変えれば、日本と韓国は、他国の場合と異なり、戦争をしないで解決する条件を与えられているということである。それならば、「いつまで議論が続くのか」と辟易することなく、「どんなに時間がかかっても、血を流さない替わりの交渉だから大事だ」と歓迎するくらいの気持で、この問題に臨むべきではなかろうか。 

 

 筆者は法律の素人故に読み間違いもあるかもしれない。けれども、この問題を解決したいという意欲だけは誰にも負けないつもりだ。日韓関係の現状を憂う人々の中で、本書で提起したことが少しでも議論され、豊かになっていくことを心から願っている。