8月2日に「新型の中距離核ミサイルの配備先は日本!?」というタイトルで記事を書いた。INF条約の失効でアメリカが中距離核ミサイルを開発、配備するというなら、当然、その配備先は日本になるだろうという観測記事だった。日本防衛のために核抑止力が必要だという以外に防衛政策のない安倍政権なら断れないだろうしね。

 

 そしたら驚き。翌3日、新任のアメリカのエスパー国防長官が、中距離核ミサイルは日本防衛のためにアジアに配備すると発言するし、5日にはロシアのリャプコフ外務次官が、そうなれば「脅威に対抗するための措置を取る」として日本を標的にすることを示唆するし、事態は急展開である。エスパーさんはあわてて昨日、まだ何も決まっていないと述べたらしい。

 

 まあ、実際、まだ決まってないだろう。これから開発するわけだしね。ただ、アジアに配備しないと射程が中国に届かないわけで、どう転んでも日本は有力な配備先になってくのである。

 

 そのことは「非核三原則」を信奉してきた日本の世論を敏感に刺激するのだろうし、平和運動はそれを焦点にすることになっていく。それ自体は当然なのだと思うが、私が懸念するのは、「持ち込み」が最大の焦点になってしまうことだ。わかっていただけるだろうか。

 

 だって、アメリカがそれを配備する理由は、「中国の中距離核ミサイルがアジアの同盟国にとって脅威」ということだ。日本政府もその認識を共有していて、アメリカの核抑止力だけが頼りだという姿勢だ。これは、いざという時は(中国が核兵器を先に使用しない場合でも)、日本の平和と安全のためにアメリカの中距離核ミサイルを使ってくださいということなのだ。

 

 日本の平和運動が、日本のために核兵器を使ってくださいという政府の立場を問題にしないまま(問題にはするのだろうけれど)、というかそれと切り離して、日本に核ミサイルが持ち込まれることだけを突出して問題にするのはおかしくないか。米本土から発射されようが、潜水艦から発射されようが、日本から発射されようが、発射させること、日本政府がその発射を願う立場であること、それが問題なのである。配備だけを切り離して問題にすることは、日本が発射基地にならなければ日本の手は汚れていないと言うことになる。それでは、日本にとって必要だから日本に配備させろよと言われたら、抵抗できない。

 

 被爆した経験があって、核兵器を日本の領土に置きたくないという日本人の感情はよく理解できる。しかし、日本政府は、そこを「非核三原則」でなんとかするからとして日本人の感情をなだめることによって、いざという時にアメリカに核兵器の使用を願うという問題に議論の焦点が当たらないようにしてきた。 

 

 中距離核ミサイル問題でも、日本配備が焦点になるだけに、同じことが繰り返されかねない。まあ、問題になるのはまだ先のことだけど、いまからよく準備しておかねばならない。