3.11があってから、毎年の3.11は福島で過ごしてきました。福島にいない3.11を迎える日が来るなんて、想像もしていなかったです。

 

 1年目の時は、3.11が近づくにつれ、「その日は福島にいたい」という気持ちが昂ぶってきて、でも1人で行っても何も役立たないと悩んでいました。そうしたら、いろいろと励ましてくれる人がいて、南相馬や相馬の人たちと実行委員会をつくり、伊勢崎賢治さんのジャズヒケシと拉致問題で名を馳せていた蓮池透さん(東電社員として福島第一原発の保守管理をしていた)の講演会を企画することに。

 

 その年は自腹での福島行きだったけれど、これをきっかけにいろいろなつながりができ、相乗作用が生まれて、出版の仕事に結びついてきたので、3年目くらいからは出張と趣味(といったら軽くて表現しきれないけれど)の合体みたいになりました。そのうち、「「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟」に深く関わることができて、自分自身の闘いという感じになってきたのです。

 

 今年行かないのは、昨年末で編集長を退任し、「仕事」という要素が激減したのが直接的な理由です。けれども、自分の闘いという要素は継続しているので、今後も関わっていく予定です。

 

 とりあえずは来年。生業訴訟は高裁判決が春頃には出そうですが、その結果にかかわらず、オリンピックイヤーなので、その喧噪曲のなかで福島問題がかき消されてしまう可能性があります。それを吹き飛ばすだけのビッグプロジェクトが進行中です。

 

 本日は、福島にはいないけれど、そのプロジェクトの成功に不可欠な人に手紙を書くつもりです。心を込めて書かなければ。写真はそれにすこし関係のあるものです。