今年から自宅で仕事することにしたので、考えておくべきことは少なくない。ずっと家にいるとダレるだろうから、図書館も活用したいと考えているのだが、ちょうど我が家から徒歩数分のところにあって(写真)、便利でうれしいな。

 

 徴用工問題で本を書くことにしたので、調べ物をするためにも、論点を明確にしておかねばならない。想定した論点に沿って本や資料を読み、その論点だけでは説明がつかない問題が出てきたら、新しく論点を立てて考えていくのが私の手法である。

 

 徴用工問題では、国際法的にどうかとか、日韓関係はどうかとか、いろいろな論点があるが、私がまず気になるのは「運動論」である。韓国の元徴用工たちが賠償を求めて運動をしており、それを弁護士などが支援しているわけだが、その運動の仕方にかかわる問題だ。

 

 どんな運動にも目標がある。労働運動だったら各種の労働条件の改善が中心だろうし、春闘などではベースアップ何パーセントという時限的な目標を立てることもある。長期的には「労働者階級の解放」を掲げているところもあるかもしれない(素人で申し訳ありませんが、全労連の行動綱領にある「歴史的役割を果たす」って、この意味?)。

 

 徴用工たちの目標も明確である。今度の裁判で掲げたように、日本の植民地支配の違法性を明らかにし、当時、それと結びついた企業の非人道的な扱いに対し、賠償を勝ち取ることである。

 

 ところで、運動に参加していると誰もが分かることだが、運動の目標って、そう簡単に実現するものではない。簡単に実現していたら、運動団体の役割は終了し、解散することになってしまうけれど、そうなっていない一事をもってしても理解できることだ。

 

 でも、目標が実現できないと、逆に運動団体が打撃を受ける。メンバーから信頼されなくなるからだ。そこで、いろいろと判断が必要な局面が生まれる。

 

 例えば、春闘でベースアップの実現を掲げて、労働者がストライキに入ったとする。しかし、経営側が首を縦にふらないで、ストライキが長期化する。さらに経営側は、ストライキ中の賃金を払わないのはもちろん、受けた損害を労働組合に請求するとおどしたり、解雇して別の人を雇ったりして切り崩しをしてくる。

 

 そうならないよう、労働組合の側も、どこかで妥協を図るわけだが、それが難しい。目標が達成されていないわけだから、「日和見主義だ」と妥協を批判する労働者が出て来るかもしれない。そこで、目標全部が達成できていなくても、一部であってもそれが持つ意味を強調したりして、労働者の団結を維持しようとするわけだ。

 

 翻って、徴用工問題では、これはどう考えられているのだろうか。(続)